かきかたの本

書き方の練習

Moon

 

若いときの自分は、金こそ人生でもっとも大切なものだと思っていた。

今、歳をとってみると、まったくその通りだと知った。

 オスカー・ワイルド

 

 

長い、長い夢を見ているようだった

音のない世界

宇宙

星々の輝きは音もなく煌めき

そして僕に問う

生きる意味

世界の価値

 

この世界にはきっと、お金より大切な物がある

そんな言葉が口癖だった彼女は、重く暗い冬の夜に死んだ。愛する家族に囲まれることもなく、暖かく清潔なベッドの中でもなく。冷たく固い地面の上で、僕の腕の中で。大病でも難病でもなかった。単なる風邪の延長だった。ただ僕たちには、金がなかったのだ。

話すまでもない、絵に描いたような不幸。退屈でありふれた物語の中で、僕たちはこの冷たい世界へ放り出された。

この手で彼女の亡骸を埋めたあの日。僕は世界の全てを恨んだ。そして世界の全てを受け入れた。それからは必死になって金を稼いだ。金のためならなんだってやった。失うものなんて何もなかった。僕にはもう、それ以外に何もなかった。

いつしか僕の周りには人が集まり、そして、大きな城が建った。

金は力であり、信頼であり、それは時に愛でさえあった。

砂の虚城の中心で、僕は人々へ呼びかける。

 

日頃の感謝を込め、僕個人から100名様に100万円【総額1億円のお年玉】を現金でプレゼントします。

 

その声は大きな波となり瞬く間に世界へ広がった。わずか数日で世界の記録を塗り替えてしまうほどの早さで。

人々は、熱狂していた。熱く、狂っていた。

金がそうさせたのか、それとも、最初からそうだったのか。ただ大きく肥大し続ける欲望の波の中心で、僕は酷く冷静だった。

 

金は、それを見る瞳によって姿を変える。

ある人々にとっては夢や希望であり、またある人々にとっては絶望であり、生であり死である。それは人類の全てであり、命であり、世界だった。

 

美しい、そう思った。

欲、夢、情、願…金は人々の心を写し輝く鏡だ。その輝きは、夜空に輝く星々の瞬きに近い。

無数の光が生まれては死に、死んでは生まれ、それを繰り返す。彼らが夜空に輝く無数の星々なのだとすれば、僕はその中でも一際大きく輝く月になろう。

それは些か自惚れが過ぎるだろうか。

 

あなたは本当に何もわかっていないのね

彼女は笑う。

その輝きは可能性の光

あなたが美しいと思うものは、人類

そして世界そのもの

お金はその輝きを写すための手段でしかないの

 

ああ、そうか

そうだったのか

 

長い、長い夢を見ているようだった

星々の輝きは音もなく煌めき

そして僕に問う

生きる意味

世界の価値

 

僕はもうすぐ月へ向かう。

 

聖水と黄金のお話

世の中には、おしっこやうんこのことを“聖水”や“黄金”などと呼び、ありがたがる人々がいるそうだ。

そんなしかめ面をしないでください。そういうところですよ。そういった、自分の相容れない物は認めないという排他的な思考が想像力を萎縮させ、あなたをつまらない人間にしていくのですよ。

さて、 世の中には、おしっこやうんこのことを“聖水”や“黄金”などと名をつけ、ありがたがる人々がいるそうです。所謂、スカトロ趣味というもの。世間的には、糞尿=汚いもの、として扱われていることもあり、忌み嫌われている性的嗜好でもありますね。まぁ、世間的に忌まれず好かれている性的嗜好なんてのも無いわけですが。

私個人の感情としては「その気持ち、わからないこともない」です。

というのも、どうでしょう。たかが糞尿、されど糞尿。やはりそれは、“誰のもの”かに大きく左右されるところではあると思うのです。おっさんの小便やうんこには誰も興味を示しません。それどころか、非常に大きな嫌悪感を感じます。しかし、主語が変わればそれは聖水にも黄金にもなり得ると思うのです。

例えば、枕詞に“女子高生の”とつけてみましょう。

女子高生のオシッコ。

果たしてこれはもう、聖水と呼んでいいのではないでしょうか。

女子高生と言っても、色々な子がいるので、イメージをしやすいように仮で“ユリちゃん”としましょうか。ユリちゃんのオシッコでいきましょう。

ユリちゃんは、勉強が苦手な高校2年生の女の子。部活は中学からバドミントン部で、実力は地区予選準優勝ほど。動物関係の仕事に就きたいので専門学校に行きたいけど、親の反対で進路は迷い中。すごく素直で面倒見も良く、友達も多いけれど、恥ずかしがり屋で人見知りの一面もあり、好きな人が出来ても積極的になれず、未だに彼氏が出来たことがない。

勉強、部活、進路、友達、そして恋。さまざまな悩みを持って生きるユリちゃんは、正に現代の聖女。そんな彼女の神聖なる天岩戸から湧き出す黄金色の水。それを聖水と呼ばずに何と呼ぶのでしょうか。

私情が入り、非常に偏った考えとなってしまいましたが、そうでなくとも特筆すべき点はあるのです。それはその入手難度の高さ。つまり、レア度です。

考えてみてください、本物の聖水でさえ、神の祝福を受けた泉や教会なんかに行けば手に入るのです。ドラクエの“せいすい”なんて道端や樽の中に落ちてますし、その価値は20ゴールド、布の服と同じですよ。しかし、ユリちゃんのオシッコは高校や実家に侵入しても、手に入りません。ストーリーを進めて行くと必ず入手できるロトの剣よりも入手は困難であると言えます。泉のようにプールされているわけもなく、汚物としてすぐに流されてしまうのです。流されたオシッコは川へと流れ込み、浄水場でろ過され、我々の普段使う水道水となるのです。

つまり、我々はいつもユリちゃんのオシッコで歯を磨き、食器を洗い、汗を洗い流しているのです。

なんて、そんな“この空が続いている限り、僕と君は繋がっている論”を言っても仕方ありません。我々が求めているのは、混ざりっけのない純度100パーセントのユリちゃんのオシッコなのです、そうでしょう。

ユリちゃんは恥ずかしがり屋で人見知り。いきなりオシッコをくれなんて言おうものなら、彼女を傷つけてしまいかねません。ましてや、監禁などをして無理矢理ユリちゃんのオシッコを入手したとしても、それには何の価値もありません。ユリちゃんが悲しむくらいなら、そんなもの、いらない。

さて、話が逸れて大切なことが伝わらなくなってしまってはいけません。こんなブログでも、伝えたいことはあるのです。ここまで読んでくださった方を、手ぶらで帰すわけにはいきませんからね。

つまり、オシッコの価値は“誰のもの”かによって大きく変わります。人によっては、それはドブ水以下のまさに汚物となります。しかし、それが女子高生や、あなたが想いを寄せるあの子のものだとしたら、どうでしょうか。それはあなたにとって、聖水以上の価値のあるものではないでしょうか?

黄金だって同じです。うんことなると、オシッコよりもハードルは高くなりますが、しかし、高いハードルも飛び方は同じです。助走をつけて、ただ飛べばいい。その助走を長くしてやればいいだけです。

女子高生のうんこ。

さすがに女子高生でも、うんこはなぁ…というあなた。

新垣結衣のうんこ。

これでどうですか?それでもピンとこないあなたは、枕詞に自分の想い人の名を入れてみてください。きっとそれは、数百万円の金塊よりもずっと価値あるものに思えてくるはずです。

胸の中にあるもの、いつか見えなくなるもの、それは側にいること、いつも思い出して。

この歌詞も、これ、うんこのことですからね。いつも思い出して。

さて、ここまで長々と書いてきて今さらですが、私自身、別にそのような性的嗜好があるわけではないのです。ただ、大切なのは“愛”なのです。愛する人のものであれば、オシッコは邪を祓い万病をも治療してくれる聖水となり、うんこはお金に変えられない価値のある宝石となり得るのです。

そして、同時に伝えたいこと。それは、あなたがそのような嗜好を持っていなかったとしても、相手はそうかもしれない。ということなのです。大切な相手が、そのような性的嗜好を持っていたなら、あなたはどうしますか。私は、この記事をここまで読んでくださったあなたには、それを受け入れられる人であってほしい。優しく抱きしめてあげられる人であってほしい。そう思っています。

コンコン

ん?

ガチャ

「起きてたんだね…こんな時間に、なに書いてるの?」

あ、ユリちゃん?ごめん起こしちゃった?

「ううん、その…ちょっとトイレに行きたくなっちゃって…」

あぁ、そういうことか……

「ごめんね、いつも……」

謝らなくていいよ、すぐ行くから先に準備してて。

「うん、ありがとね…大好きだよ…」

 

さて、世の中には、おしっこやうんこのことを“聖水”や“黄金”などと呼び、ありがたがる人々がいるそうだ。

色々な人間がいるのだから、そんな奴らがいたって悪くはないだろう。

人の数だけ、愛の形があるのだ。

人の数だけ、幸せの形があるのだ。

そう、全く同じ色形の“黄金”が存在しないように。

 

休息の待ち時間

今日、会社を休みます

そう言った時、課長はいつも以上に驚いた顔をした。それもそのはずだ。今の部署に異動して2年半、俺が当日に会社を休んだことは一度も無い。それどころか、冠婚葬祭以外で有給休暇を取ったこともないのだ。

風邪を引いた日も、台風で車が水没した日も、祖父が死んだ日も、12年間飼っていた猫が死んだ日も、母の最初の命日も。俺は何食わぬ顔で出社し、一日仕事をし、そして定時後の帰る前に課長に、そういえば、と切り出すのだ。

そこまで大きな責任のある仕事をしているわけではない。担当業務があるとはいえ、俺が一人抜けたたところで、数日くらいならなんとでもなる。ただ俺は、いつもと違うことをすることが極端に苦手な性格だった。と、いうよりは、その為に踏むべき手筈ー電話や事前申請や業務の引き継ぎなどーや、それに連動する様々な思考を恐ろしいほど面倒くさがった。決められたルーティーンの中に収まっている方が、よっぽど気楽だったのだ。

課長はそういった“報告”を聞くと、決まって驚いた顔をして、それから少し不機嫌そうに呆れた表情で、仕事なんてしてる場合じゃないだろう、と言うのだ。それから2、3の質問を投げかけ、最後に、気をつけて帰れよ、と言うのだ。俺は彼のー自分よりずっと年上の上司ではあるがー部下に対するそんな態度が嫌いではなかった。

 

その日は、いつもより一時間早く出社し、誰もいない事務所で一人せっせと今日の仕事に必要な書類を各担当ごとに仕分けた。今日仕事を休むことは家を出た時から決めていたので、この仕分けは代わりの担当者への引き継ぎをスムーズに済ますためのものだ。

なんだ、今日は早いじゃないか

ちょうど書類の仕分けが終わり、3人の担当者の机に引き継ぎ事項と謝罪の旨を書いた手書きのメモ置いた時、上機嫌で課長が出社する。彼は仕事以外の話をする時は、いつも声のトーンが数オクターブ高くなる。課長が席に座ったのを確認し、会社を休む旨を伝える。彼は途端に真剣な表情になり、どうした、と言った。その表情から、彼の頭の中で様々な思考が広がっていることが感じて取れた。彼はそういう人間で、だからこそ俺は彼の下で真面目に働くことが出来る。

会社を休む理由は単純明解。単なる体調不良だ。先週から痛みを感じていた左耳の奥。それが、今朝起きた時には、のっぴきならないレベルの激痛となっていたため、だ。その旨を説明すると、課長は少し安心したような表情で、もっと早く医者に行けよ、と言い、それから続けて、別に電話でもよかっただろう、と言った。

電話でもよかった、そう言われればそうだ。会社を休むために一時間早く出社するなんて、どうかしている。ただ、いずれにせよ俺は会社には出ていただろう。他の担当者へ引き継ぎの書類をまとめて手書きのメモを残すことで、それなりの誠意を見せるため。課長と顔を合わせて話をすることで、過度な心配をさせないため。俺はそういった諸々のことを考えすぎてしまう節があるな、と、帰りの車の中でぼんやりとそんなことを考えた。そして、自分のそういう行き過ぎて律儀なところが気に入っている、ということも。

 

病院へは、9時を少し過ぎた頃に到着した。診察開始は9時30分だが、狭い待合室の椅子にはすでに7、8人の人が座っていた。受付で渡された問診票の項目を埋め、保険証と合わせて無愛想な女性に返すと、代わりに23番の番号札が渡される。23番。23番というのは、恐らく読んで字の如く、23番目に呼ばれるということなのだろう。まだ診察も始まっていないのに。俺はため息を一つ、空いている席を探す。

子どもの頃は、何かを待つことはあまり好きではなかった。幼稚園のバスや病院の待合室、電車や車の移動時間もそうだ。その先に何があるかを理解出来ていなかった頃の俺にとって、何かを待つという行為は、動きを制限されるものでしかなく、それは耐えられない苦痛だった。思えば、何かを待っている時、その隣にはいつも母親がいた。彼女は何も言わず、ただぼんやりとどこか遠くを眺め、辛抱強くその時を待っていた。時折、俺の肩や頭に回した指をリズミカルに動かしながら。

待合室で名前を呼ばれる時を待っている間、持ってきていた文庫本を読んでいた。江國香織の『落下する夕方』だ。少し前、知人と古本屋の文庫本のコーナーでこの本の話をした時、そういえばこの本を誰かに貸したままになっていたことを思い出した。誰だったか、大切な人だったような気がする。一番好きな本を読んで欲しいと思えるような、そんな風な。結局、誰かは思い出せなかったが、もう一度読みたいと、そう思った俺は、またこの本を買った。同じ本を二度買う。二度買いたいと思えるような、ずっと手元に置いておきたいと思えるような、そんな作品と出会えることは、幸福なことだと思う。

結局、診察の順番が来たのは12時前だった。約3時間。隣に座っていた幼稚園に通っているくらいの女の子は、いつの間にかセーラー服を着た少女となっていた。診察の待ち時間の間にすっかり成長してしまった夏に似つかわしくない色白の少女は、手持ち無沙汰そうに自分の爪を眺めたり、天井を見上げたりしていた。

何かを待つ時間が苦痛でなくなったのは、いつからだろうか。診察中、耳の中を覗かれながらぼんやりと考える。何かを待っている時間は、人生の中で唯一の休息の時間だと思う。“その先の何か”が訪れるまでの間、自分の時間を預けているのだ。預けているのなら、仕方ないので、俺は自由に時間をつぶす。待っている間は、その場を離れなければ何をしても自由だ。何をしているのかと聞かれれば、待っていると答えればいいのだから。それは、子どもが親に対して行う無邪気な責任転嫁のようなものだと思う。だからこそ、いつだって自由だった子どもの頃の俺は、待つことが嫌いだったのだ。

一冊の本を読み終えた余韻にぼんやりしていたので、診察の内容はあまり頭に入ってこなかった。薬を飲めば治ると、そんなことを言われていたように思う。よくわからないが、医者が言うのなら、きっとそうなのだろう。

診察室を出た時、本がカバンに入っていないことに気づく。さっきまで座っていた席へ目を向けると、先ほどのセーラー服の少女が熱心に俺の置き忘れていた本を読んでいた。微笑ましい気持ちになり、俺は何も言わず、会計を済まし、病院を出ようとする。

あっ、すみません!

俺に気づいた少女が、慌てて声を上げた。静かな待合室に彼女の高い声が響く。涼しい夏の風のような声だった。注目が集まり、彼女は一瞬恥ずかしそうに目を伏せ、そのまま俺に駆け寄ってくる。

あの、これ

どこまで読んだ?

えっと、華子が家に来るところまで、です

続き、気になるでしょ

ええ、まあ……

じゃあ、あげるよ

えっ、いや、悪いですよそんなの

いいよ、俺はもう全部読んじゃったからさ 

俺が言うと彼女は少し申し訳なさそうに両手で本を胸の前に抱え、ありがとうございます、と、恥ずかしそうに言うのだった。

 

平日の昼下がり。ちょうどお昼休み時ということもあり、通りには作業服やスーツ姿の人々が多く見える。今日の俺は、彼らとは別の世界を生きている。鼻歌を口ずさみながら、家へと車を走らせる。

左耳の痛みは変わらず続いている。しかし、俺の心は不思議と安らぎの中にあった。

本屋に寄って帰ろう。

夏の昼下がり、緩やかな淀みのような陽だまりの中で、そんなことを思った。

ドーヴァーの夜

ガウェイン卿が死んだ。

ドーヴァーの戦いは勝利に終わったが、その夜、宴が開かれることはなかった。進駐軍のキャンプでは、兵士たちも何かを察してか、皆一様に暗い表情でそれぞれに黙って火を囲んでいた。

その知らせを聞いたのは、ベディヴィア卿からだった。どうやら、円卓の騎士たちへはアーサー王より話があったようだ。先の戦いで傷を負いながらも、兵士たちの指揮を落とすまいとドーヴァーへ馳せ参じたガウェイン卿は、この戦いでも獅子奮迅の活躍を見せたという。しかし、百戦錬磨の勇士であっても、その身に負った傷は一瞬の隙を生む。そして、騎士の戦いにおいて、その隙は死神を誘う扉となる。

三本の槍を腹に受け、それでもなお、獣の如く叫びを上げ、数十の敵を薙ぎ払った

折った枝を火へ焚べながら、ベディヴィア卿は言う。

大した男だ、まったく、武功に関しては彼には敵わない

ベディヴィア卿とガウェイン卿は、共に古くからアーサー王に使える古参の騎士であった。私も、ベディヴィア卿に仕える身として、ガウェイン卿とは何度も酒を飲み交わした。彼の死は、今後の行軍において、果ては、アーサー王と円卓の騎士の在り方において、大きな影響を及ぼすだろう。彼はそれほどの騎士であった。

強く、勇敢で、忠義に厚いお方でありました

ああ、そして、女好きで、酒好きで、どうしようもないバカだった

ベディヴィア卿は笑いながら言い、三杯の銀のカップへ酒を注ぐ。その一杯を私に、そしてもう一杯を彼の隣、いつもガウェイン卿が座っていた位置に置く。

勇敢な騎士の魂へ

彼はそう言って、夜空へ杯を掲げた。同様に、私も杯を掲げ、そして苦いブドウ酒を一気に飲み干した。

なあ、死んだ英雄の魂は、いったい何処へ向かうんだろうな

ベディヴィア卿は、夜空へ目を向けたまま言う。

彼の望んだ、そして、私たちの望むアーサー王の作る世。それを、彼は見ることが出来るのか

私の故郷では、死者の肉体は土へ、その魂は空へ還ると伝えられておりました。そして、その空の先から我々を見守っている、と

 そうか、では、彼に見せてやらねばな

ベディヴィア卿は言って立ち上がると、腰に備えていた剣を抜き、俺の前に突き立てた。

ラティーンエクスカリバーの姉妹剣であり、ガウェイン卿の使った剣。これからは、お前が使え

私が、そんな……

お前なら使いこなせる。ガウェイン卿もきっと、それを望むだろう

 

ドーヴァーの戦いに勝利した日。円卓の騎士ガウェイン卿が死んだ日。その夜、私はガラティーンを受け継いだ。

ベディヴィア卿は言う。

私はこうも思う、死んだ騎士の魂は、新たな英雄へと受け継がれる、と。ガウェイン卿の望んだアーサー王の世を作るのは、残された我々だ。では、その先は?アーサー王が聖杯を手にし、新たな世を作ったその先。アーサー王が死に、私が死に、お前が、そしてこの場にいるすべての英雄、戦士たちが死んだその先の世界には何がある?我々の魂を受け継ぐのは誰だ?

 

我々の戦いは、きっと、後の世に英雄譚として語り継がれるだろう。ガウェイン卿の死も、アーサー王、ベディヴィア卿、他の円卓の騎士たちの伝説も。

我々が死んだその先の世界で、その魂を受け継ぐ物はいるのだろうか。次の世代、その次、そしてそのずっと遠く先の世界に、英雄はいるのだろうか。それほど遠い世界であれば、もしかしたら、騎士も戦いも存在しない世界になっているかもしれないな。

その魂を受け継ぐ者がいなくなった時。それが、英雄や騎士の本当の死なのかもしれない。少なくとも、我々が生き続ける限り、ガウェイン卿の魂は生き続ける。

私は、受け継いだ剣“ガラティーン”を鞘へ戻し、焚き火の火を消して横になる。途端に、日中の戦いの疲れが重く身体にのしかかる。

仰向けになり、木々の間から見える満天の星空を見上げる。ずっと遠く、その先の世界を生きる名も知らぬ英雄たちも、同じ空を見上げているのだろうか。私の魂は彼らの中で生き続けることが出来るのだろうか。

今日は長い一日だった。本当に、長い一日だった。

せめて今は、静かに眠ろう。

ろくでなし、2人、防波堤にて

俺はきっと、何者にもなれずに死んでくんだろうな

最悪に心地の悪い蒸した空気の中、俺たちは雨上がりの夜空の下で、工場の煙突から吹き出す青い炎を眺めていた。

7月9日

いつもと変わらない、何もない日曜日

扇風機の前で、何度も読んだ漫画をもう一度読み返し、時折くだらない会話をしながら日中を過ごし、夕方日が暮れると、2人でのそのそとコンビニへ向かい、ざる蕎麦と冷やし中華と、一番安いラクトアイスを一つ買い、それを蒸し暑い部屋で食べる。

この世界に生きている人間は俺と彼女だけで、そして俺たちのこんな日々はきっと、永遠に続くのだろう。そんなことを、ぼんやりと考えていた。

ねぇ、海に行きましょうよ

カップのバニラアイスを2人、半分ずつ食べ終え、少し冷たい廊下のフローリングでボロ雑巾のように横になっていた時。彼女は俺の手を握り、そんなことを言った。

雨、降ってんじゃん

やみましたよ、ほら

彼女は頭上を指差して言う。その先には当然、雨上がりの澄んだ夜空など見えず、黄ばんだ天井が見えるだけだ。

どうして海なんだよ

海じゃなくてもいいんです、どこでも、外の空気を吸いたいんです

このクソ暑いのに?

このクソ暑いのに、です

そうか

なら、しかたねぇな。と、俺はゆっくり立ち上がり、椅子に掛けていたよれよれのジーンズを履き、棚の上からバイクのキーを取る。玄関を見ると、彼女は両脇にヘルメットを抱え、嬉しそうに笑っている。

なんか、スイカ畑の人みたい

あっ、帰りにマックスでスイカも買って帰りましょう、4分の1のやつ

ドアを開けると、部屋の中よりはほんの少しだけ涼しい空気がじっとりと汗ばんだ肌に伝う。ボロのバイクにまたがり、エンジンをかける。彼女は何も言わず、俺の後ろに乗り、そして腕を回す。お互い、汗ばんだ肌が触れ合う。心地悪さはない。

出来るだけ車の少ない道を選びながら、俺たちは何も話さず、海へ向かう。海へ近づくにつれて、ぬるく湿った風がじっとりと体にまとわりつき、その、先の見えない暗い夜道はまるで、俺の人生を表しているようにも感じられた。ただ、背中に感じる僅かな重さと温かさ、息遣い、それだけを救いに、俺はその道を進む。

永遠にも続くかと思われた道はあっさりと終わり、突き当たりの防波堤の前で俺はバイクを止めた。防波堤の上に登ると、人工島の工場地帯の輝きが目の前に広がる。

無数の煙突から吹き出す炎と煙は夜空を赤く染め、まるで繁華街のネオンのような鮮やかな色をしたライトが、巨大な魔物のようなタンクを照らし出す。いつから世界に夜は無くなったのだろうか。この輝きは、人類の文明の輝きだ。進化と繁栄の光だ。夜を忘れた人類は、その先に一体

ねぇ、私のこと忘れてないですか

むっとした声が足元から聞こえる。見ると、彼女が頬を膨らませながら、両手を俺へ向けている。俺は彼女の手を取り、防波堤の上に引き上げる。

わぁ、綺麗、すごいすごい

彼女は大げさに両手を広げ、そんなことを言った。なぜか被りっぱなしだったヘルメットを彼女の頭からもぎ取り、防波堤の上に座る。タバコに火をつけようとして、そこで、ライターを忘れてきたことに気づく。

あっ、火ですか、まかせてください

言って、彼女は煙突の炎に手を伸ばす。轟々と燃え盛る炎を摘むように指先に取り、それを俺の咥えるタバコにつける。タバコに火が移ったのを見て満足そうに、彼女は指先の火を吹き消した。

前も言ったけど、あんまりそういうの、してほしくないんだけどな

俺は夜空に煙を吐き、言う。

いちいち、俺とは違うってこと、思い出しちまう

別にいいじゃないですか、違ってても、一緒にいるんですから

今はそうだけどさ、なんか、いつかどっか遠くにいっちまうんじゃないかって、そんな風に思っちまうんだ

俺が言うと、彼女は可笑しそうに笑い、そして俺の隣に座り、その華奢な体を俺に寄せる。彼女は何も言わなかった。否定するわけでも、肯定するわけでもなく、ただ、鼻歌を歌いながら、俺の手を握っていた。それでよかった。俺たちには、それで十分だった。

俺はきっと、何者にもなれずに死んでくんだろうな、この世界のどこかで、生きてることも死んだことも、誰にも知られずにさ

工場の輝きを見ながら、小さく呟く。彼女は鼻歌を口ずさむのをやめ、俺を見る。

あなたがこの世界で何者にもなれなくても、私には、あなたしかいませんよ

どうして?お前には力があるのに、こんなろくでなしの男しかいないなんて、そんなことねえだろ

彼女は少しむっとした顔をして、それから、工場地帯を隠すように手のひらでなぞる。彼女のなぞった場所から光が消えていき、そして最終的に、全てが暗闇に包まれる。

おい、何を……

次の瞬間、彼女が俺を抱き寄せる感触、そして俺の唇に何か柔らかいものが当たる。波の音、風の音、虫の声、先ほどまで聞こえていた全ての音が遠くフィルターの先に聞こえているような感覚。目を開いているはずなのに、何も見えない。ただ、彼女の温もりと息遣いだけは確かに感じられる。

永遠とも一瞬とも思える時が経ち、雲の切れ間から月明かりが俺たちを照らした時。まるでスイッチを押したかのように工場地帯の全ての光が灯された。惚ける俺をよそに、彼女は何事もなかったかのようにまた鼻歌を口ずさみながら、工場地帯の輝きを見つめている。ただ、その頬がほんの少し、紅く染まっているように見えた。

私は、ろくでなしのあなただからいいんです。家で漫画を読んでゴロゴロして、コンビニで買った安いアイスを2人で半分こして食べて、たまにバイクでお出かけして、そんな生活が好きなんです

彼女は静かに、鼻歌を歌うように言う

特別じゃなくていいんです。あなたはあなたで、私にとってのあなたでいてくれるだけでいいんです

最後の言葉は、まるで子どものわがままのように聞こえた。そんな彼女が愛しく思え、俺は彼女の肩を抱き寄せた。彼女は何も言わず、その小さな身体を俺に預ける。

それから俺たちは、どれだけの時間その景色を見ていたのか。どちらともなく立ち上がり、防波堤を降り、バイクに乗る。帰り道、今度は闇へ向かう道ではなく、光へと向かう道だ。

この世界に永遠なんてものはない。そんなことは知っている。永遠に続くと思っている退屈な生活も、何もない人生も、いつかふとした瞬間に終わりを迎える。だからこそ、俺たちは暇潰しのような今の時間こそを、大切に生きなければならない。なんて、そんな大層なことを言ったところで、俺は明日からも変わらず、ろくでなしの人生を送り続けるのだろう。

ただ、背中に感じるこの温もりがある間は。その間だけは、この退屈でくだらない、きっと何者にもなれないそんな人生も悪くはない。

スイカを買って帰ろう。

4分の1のやつを買って、帰ろう。

悟りの書 2017.03.18

祖父の古い知り合いに、世界を旅しながらおかしな物を買い集める古物商がいる。

彼は様々な美術品を仕入れては世界の金持ちに売り歩き生計を立てているのだが、その仕事の中で、個人の日記や写真を好んで収集する癖がある男だった。曰く、リアルな人間の生き様こそ、最高の美術品である、とのこと。そして彼自身、その言葉を裏付けるかのように、奇妙で数奇な人生を送っていた。

そんな彼から連絡があったのは、連休最終日の夕方のことだった。

面白い物を手に入れた、お前に必要な物だ。

連絡を受けたその1時間後、彼は俺の家で缶コーヒーを飲みながら、そんな事を言った。約三年ぶりの再会であったが、相変わらずの様子に俺は少し安心する。

彼は俺が子どもの頃から、全く変わらない。初めて出会った時から、何一つ。白髪頭と皺だらけの顔も、年の割にがっしりとした身体つきも、つかみどころのない飄々とした立ち居振る舞いも、世界の全てを知っているかのような瞳も。

悟りの書。協会で、珍しく極秘扱いされていた品なんだがな、その実は単なる個人の日記だ。しかし、内容は非常に興味深い。お前なら理解出来るだろう。なぜ俺が、今、お前にこの日記を渡したのかも、な。

言って、彼が俺に渡したのは、ボロボロの日記帳だった。埃臭い皮の表紙には、恐らくタイトルと持ち主の名が書かれていたのだろうが、それは擦れて見えなくなっている。バラバラとページを捲り、すぐにその内容の不自然さに気づく。

奇妙な言い回しの英語、癖や訛りではなく、日本で言うところの古文のような言い回しだと思う。それも、見たことのない文法だ。独特の言い回しや、よくわからない単語が使われているが、適当に書かれているわけではなく、法則性は見える。読みにくかったが、内容は辛うじて読み取れる程度であった。それよりも気になったのが、その日記の日付である。

これ、いつの日記です?

彼はいつものように含みを持った笑みを浮かべ、そして缶コーヒーを飲み干し、立ち上がった。

書かれている通りさ、2017年の1月から5月までの日記だよ。

明らかにそれ以前に書かれた物じゃないですか、少なくとも一世紀以上は前だ。

さすがだな。やっぱりお前は筋がいい。だからこそ、お前にこの日記を渡したいと思ったんだ。

彼は楽しそうに笑い、玄関へ向かう。

一つ、教えてやる。その日記は1800年台後期のイギリスで書かれた物だ。持ち主は不明だが、保管状況から、協会の要人であったと思われる。偉いさんが悪ふざけで書いたのか、預言者の書いた預言書か、それともタイムトラベラーの日記か。いずれにせよ、真実がわかる時は近い。

その言葉と古びた日記だけを残し、彼は俺の前から去って行った。言及はしない。彼に対してその行為は無意味だという事を俺は知っている。彼は世界の全てを知っているが、俺が知り得ることは、彼が自分から話したことだけだ。

さて、この日記を一通り読んでみたが、これがどういった物なのかすぐに理解出来た。いや、全てを理解したわけではない。それどころか、ほんの一部さえも理解出来ていないかもしれない。しかし、俺は確信を持って言える。

ここに記されている内容は、真実だ。

この時代の日本で、その出来事を見ていた人間は、一世紀以上前のイギリスに存在していた。預言などではなく、ただ、彼の体験した真実が書かれている日記だ。

真実がわかる時は近い。

古物商の彼の言ったように、この日記は5月13日で途絶えている。その内容は、未だ読み取れない。時間をかけて読み取る必要がある。この日記の持ち主に、一体何があったのか。この国に、一体何が起こるのか。

その出来事を示唆する内容は、3月辺りから書かれている。その一部を、俺なりに訳した物をここに記そう。どれだけの人間の目に留まるかわからないが。この日記を託された以上、俺には記し伝える義務がある。この真実を、一人でも多くの人々へ。

 

2017.3.18

彼女たちが家へやってきた。アジア人は無知な礼儀知らずが多いが、彼女たち姉妹は例外だ。自身の立ち位置をしっかりと理解し、その上で出来る限りの協力の姿勢を見せてくれる。私のような、ただの一つのピースに対しても。計画を話した時も、彼女たちは何も言わず、ただ静かに頷くだけであった。自分たちの背負う業を知り、避けられない運命を知り、それでも怒ることも泣くこともせず。

この国を訪れて暫くが経つ。人々と生活を共にし、彼らの実情をこの目で実際に見て、ようやくこの計画の意味を理解した。個人が意見を主張し、くだらないことで争いが起き、人々は常に不満を口にし、変化や革命を望みながら、それでも行動を起こそうとする者はいない。仮初めの平和、緩やかな澱みの中で、この国は静かに腐り落ちようとしている。

沈みかけの船の上で、唯一の救いの道を知る者は、今、目の前にいる2人の少女だけだ。彼女たちは私の話を聞いている間、テーブルの下でずっと手を握りあっていた。ホテルのロビーを抜けてすぐに、泣き崩れていた。私の前では気丈に振る舞っていたが、一国の終焉を背負うには彼女たちの背はあまりにも小さすぎる。

時は近い。私に出来ることは、彼女たちの運命と、この国の最後を見届けることだけだ。

君と春雨

そうじゃないわよ

そう言って君は、おかしそうに笑った。

カップの春雨スープとミルクティーが2つずつ入ったコンビニ袋と、それから口の半分開いたアホ面をぶら下げ、俺は立ち尽くす。

私が好きなのは、春の雨。別に、春雨スープが食べたかったわけじゃないわ

そう言って彼女はもう一度、くくっと笑う。俺は途端に恥ずかしくなり、部室のテーブルの上に春雨スープのカップを投げるように置く。

違う、俺が食べたかっただけだから

ムキになりカップのビニールを剥いだところで、この部室には“湯”がないことに気づく。俺はカップを投げ捨て、ため息を一つ、椅子に座る。彼女はそんな俺の様子を見て、今度は瞳だけで笑い、そうして、手元の本に視線を落とした。

グスコーブドリの伝記

残念、銀河鉄道の夜でした

彼女は得意げに言い、そのボロボロに読み古された本のページをめくる。

宮沢賢治は、彼女のお気に入りだ。と、いうより、彼女は宮沢賢治しか読まない。文学部の部長でありながら、一人の作家の小説しか読まないというのは、どうかとも思うが。

私は、宮沢賢治以外の文学を知らないの

それが彼女の口癖だった。

 

そしてジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって、しばらく蛍のように、ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ました。

 

俺は、暗記するほど読み込んだその一節を読み上げながら、ミルクティーのボトルの蓋を緩め、彼女の前に置く。

 

それはだんだんはっきりして、とうとうりんとうごかないようになり、濃い鋼青のそらの野原にたちました。

 

彼女は、凛とした鈴のような声で続ける。

 

いま新しく灼いたばかりの青い鋼の板のような、そらの野原に、まっすぐにすきっと立ったのです。

 

銀河ステーション、銀河ステーション

俺が声色を変えて言うと、彼女は吹き出すように笑った。俺も同じように、ケラケラと笑う。

部室の中には、2人の笑い声と、それから雨の音だけが静かに響いている。

春の雨は、好きなの

彼女は、窓の外を降る雨を見つめ、そんなことを言った。

暖かくって、静かで、それでいてどこかお祭りみたいな騒々しさもあって

薄暗い部室の窓から見る雨の景色は、まるで光を放つ絵画のようで、その前に座る季節外れの冬服を着た彼女は、絵画の中に描かれた幻想のようにも見えた。俺は、そんな彼女の姿に見惚れると同時に、漠然とした不安を覚えていた。いつか彼女が、そう、まるでカムパネルラのように突然に、俺の前から消えてしまうのではないかと、そんな不安を。

 

僕たちと一緒に乗って行こう。僕たちどこまでだって行ける切符持ってるんだ。

 

俺が言うと、彼女は目を丸くして俺を見る。俺は少し恥ずかしくなって、彼女から目をそらした。雨音に混じり、彼女の小さな笑い声が聞こえる。

大丈夫、と、彼女は言う。

私は、サザンクロスでも石炭袋でも降りないわ

本を閉じ、しっかりと俺の目を見て、彼女はそう言った。優しい笑顔だった。

けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。

銀河鉄道の夜は、宮沢賢治の死の直前まで変化を続けた作品だ。その中で最後、ジョバンニはカムパネルラに向けてそんな言葉を投げかけている。それは、賢治自身が読み手へ向けて投げかけた問いなのだと、俺は思う。

春雨スープが食べたくなったわ

彼女は立ち上がり、片手に春雨スープのカップを持ち、もう片方の手で俺の手を取る。

給仕室にポットがあったはずよ

彼女は悪戯な笑顔を俺に向ける。暖かい、春の雨のような気持ちが俺の心を包む。

部室の外に出ると、少し肌寒い空気が俺たちを包む。春の雨は未だ止む気配はない。

ほんとうのさいわいは、一体何だろう

今なら、そのジョバンニの問いにも答えることができる気がする。

俺の手を引いて走る彼女の、揺れる長い黒髪をぼんやりと見ながら、そんなことを思った。