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かきかたの本

書き方の練習

帰路

連休が終わる。俺は、何処へ帰るのだろうか。

この大型連休を利用し、数年ぶりに家族旅行へ行った。と、言っても、車で1時間ほどの距離のテーマパークであり、わざわざホテルを予約してまで行くものでもなかったのだが。姉夫婦と兄夫婦、それから子どもたち。合計10人の大所帯。気分を楽しむものだ、と、親父は言っていた。

いつからか、家族というものに対して、嫌悪感にも似たような、そんな感覚を持つようになっていた。それは、母親が死んだ頃からだろうか。厳格で怖かった父は、母親の死を境に、へなちょこになった。元々、親父と反りの合わなかった母方の親戚とは途端に疎遠になり、姉は子どもを作り逃げるように家を出ていった。残された俺は、年老いたへなちょこの親父を残して家を出るわけにもいかず、何故か家を建て、22歳にしてめでたく、持ち家と数十年のローンを背負うこととなった。

そんな諸々のこともあり、俺は今の家族に対してなんとも言い難い感情を持っているのだが。と、言うよりは、今の俺にとって、家族はもういないものとなっているのだが。しかし、昔は、こんな俺にも家族がいて、幸せな日々があった。

子どもの頃の記憶というものは断片的で、夢のようなものだ。昔のことを思い出す時、いつも思い出すのは、家族旅行の記憶だった。

小学校低学年の頃は、毎年、夏休みや正月の大型連休を利用し、家族旅行に行っていたような気がする。その頃は、母方の親戚ともまだ縁があり、15人ほどの大所帯での旅行だったように思う。

温泉街、湯けむりの漂う淡い光の街を、叔父と2人、浴衣で歩く。下駄の音。カランコロンと口で言いながら歩く俺を、笑って見ていた白髪頭の叔父の顔。

旅館の薄暗いゲームセンターで、バブルボブルをする母の背中。

くだらないことで怒鳴られた後、海の見える露天風呂で、親父と2人で見た、遠く真っ暗な海の上に浮かぶ船の灯り。

どれもが靄に覆われたような断片的な記憶で、今となってはそれが実際の出来事だったのかさえも、定かではない。ただ、それらの記憶を思い出している頃は、なんというのだろうか、不思議な感覚を覚えるのだ。例えるなら、17時の音楽が流れた時のような。もう帰らなければ、と、そんな風に思うのだ。

高速道路の灯りが好きだった。旅行で疲れた体で、帰りの車内で後部座席から見上げる橙色の優しい光が、好きだった。ああ、楽しかったなあ。もう、旅も終わりか。なんて、そんな風に思いながら。後ろへ流れていく温かい光を見上げ、目を閉じるのだ。そして、気がついた時には、家の布団で眠っていた。あの頃の俺には帰る場所があり、そして共に帰る家族がいた。

今でも、あの橙色の柔らかな光は好きだ。夜に一人、車を走らせていると思い出すのだ。あの頃の、淡い夢のような、温かい記憶を。

連休が終わる。俺は今、自分の部屋のベッドで、この記事を書いている。ここが、今の俺の帰る場所だ。ただ、心はいつもあの日々を思っている。俺の心の帰る場所は、此処にはないのかもしれない。

いつか俺に、家族が出来たなら。その時は、そこが俺の帰る場所となるのだろうか。そんな日が、いつか来るのだろうか。

俺の心は今も、この暗い道を、帰る場所を求めて走り続けている。あの日見上げていた橙色の灯りだけが、その道を照らしている。

ニライカナイ 1

 その日、晴天の空から雪が降った。

この冬の最低気温を記録したその日、俺は神戸空港で、掲示板に表示される赤い文字を見上げていた。沖縄行きの便は、本来の予定時刻を過ぎても尚、未定のまま何の動きも無しだ。いっそ、欠航となってくれた方がいいのだが。俺はため息を一つ、ロビーの椅子に座り、広い窓の外に降る粉雪を見つめた。雲一つない晴天から雪の降る様子は、まるで異常気象のようで、少し不気味にも思えた。

君も、琉球へ向かうのかな。

と、話しかけてきたのは、1人の老紳士だった。高級そうなグレーのスーツに身を包んだ白髪頭の、いかにも人の良さそうな、それでいて、まるで世界の全てを見てきたような深く鋭い瞳をした、不思議な雰囲気の人だった。

ええ、まあ。しかし、この調子だと今日は飛ばないかもしれませんね。

いや、飛ぶさ。心配はいらない。

彼は俺の隣に座り、同じように空を見つめて言う。

ただ、少し時間はかかるやもしれん。もしよろしければ、私の話に付き合ってはくれませんかな。

話、ですか。

正直に言うと少し驚いたが、彼も空港のロビーで時間を潰す方法もなく退屈しているのだろう。

ええ、もちろん。どんなお話ですか。

見ず知らずの他人の昔話というのは、聞いていて面白い。俺は彼の方に少し体を向け、そう返した。彼は満足そうに頷き、そして、晴天の空から降る雪を見つめながら、その幻のような物語を話し始めた。

 

かつて、世界にまだ神がいた頃。琉球と呼ばれる国があった。温暖な気候に恵まれ、海と自然に囲まれた豊かな島国。そこには、伝統と歌を愛する陽気な人々が暮らしていた。

当時、とある貿易商の船に便乗し、吟遊詩人として世界を放浪していた私は、ある日、海上で突然神の怒りのような嵐に見舞われ海へと投げ出された。自分が生きているのか死んでいるのかもわからないような状況の中で、数日間、海を漂った末にようやく辿り着いた島。それが、琉球であった。今思うとあの嵐も、私が琉球へ流れ着いたことも、全てが神の望んだ運命だったのかもしれない。なんて、そんな柄にもないようなことを考えてしまうほどに、琉球で過ごした日々は私という人間の心に深く残り続けている。

砂浜で、ゴミのように死にかけていた私を救ってくれたのは、島で唯一の神社に住む、14歳の少女だった。長い髪のせいか、それとも年不相応な落ち着いた表情や話し方のせいか、妙に大人びて見えたことが印象に残っている。それはきっと、彼女の役目や周りの環境が影響しているのであろう。

というのも、島巫女と呼ばれる彼女は、神主と共に島の行事のほとんどを取り仕切り、多くの島民から慕われ、頼られている存在だった。素性のわからない私の命を救い、島での居場所を与えてくれた恩人でもある。いつも優しく笑っていたが、時折、遠くを見つめて寂しそうな表情をする。そんな人だった。

島での生活は、とても楽しく充実したものだった。朝は海で漁をし、昼からは子どもたちと遊び、水平線へ沈む夕日を見つめ、夜は火を囲み歌う。島民たちは私を仲間として、温かく迎え入れてくれた。私はそのお返しとして、子どもたちに勉学を教え、そして、歌を歌った。彼らは、島唄と呼ばれる島に昔から伝わる歌を愛していたが、私の歌う世界の伝承も気に入ってくれた。それまでの旅の人生の中でも、素敵な仲間に囲まれることはあったが、彼らと過ごした時間は最も幸せなものだった。

その中でも、島巫女の少女は私にとって特別な存在だった。彼女には両親がおらず、部屋がいくつもある広い家には彼女の祖父である神主と彼女の2人しか住んでいなかった。そのため、私が来てくれて助かったと、事あるごとに2人は言っていた。島にいた頃の私は、基本的に子どもの教師や遊び相手をしていたのだが、空いた時間は全て神社の掃除やその他の手伝いに使っていた。それが、居候として最低限の誠意だと思っていたからだ。

島巫女の少女は、毎晩、私の部屋に遊びに来ていた。最初こそ、少し気恥ずかしそうにしていたが、数日が経つとすっかり慣れ、風呂から上がるとそのまま、眠る時間まで私の部屋で過ごすようになっていた。いつしか、私と彼女は同じ布団で共に眠るようになっていた。娘と呼ぶには年が近すぎていたし、かと言って、恋人や妹と呼ぶには少し年の差がありすぎる。お互い、人と接する機会こそ多いものの、心のどこかでは孤独を感じていたのだと思う。なんとも不思議な関係ではあったが、彼女と共に過ごす時間は、私にとって楽しいものだった。

彼女とは、本当に色々な話をした。星や神話の話、私が見てきた世界の話、各地に伝わる伝説の話。中でも、北欧の竜の伝説がお気に入りで、彼女はその話を暗記するほど聞きたがった。そしてそれと同じく、執拗なまでに聞きたがったのが、各地の文化として残る“生贄”の風習だった。

その時代、世界にはまだ神々が居り、人々は神に祈りを捧げ、彼らに救いを求めた。神は時に人を救い、時には人を裁き、そして時には人を見捨てた。人々は、神に救われるために多くのことを行った。天まで届く塔を建て、巨大な石像を作り崇め、供物を捧げた。その中で、悪しき風習として存在していたのが、生贄だった。牛や羊、そして人間。各地によって細かな違いこそはあるものの、命を捧げるその文化は神への献身として最も大きな効果があるものとされていた。

私はその文化の犠牲になった者たちを、この目で何度も見てきた。その犠牲者の多くは、子ども。特に生娘が多かったように思う。彼女たちは、人々のため、進んでその命を投げ出した。その親や他の人々も、笑顔でそれを送り出していた。彼女たちのために涙を流すことは、神への冒涜と取られかねなかったからだ。それほどまでに、世界において神の持つ力が大きかった時代でもあった。

そういった事情もあり、私は島巫女の彼女に、その生贄文化の話をすることは殆どなかった。何故か彼女は、執拗にその話を聞きたがったが、同じ年代の少女たちが生贄として命を捧げているという話を、彼女に聞かせたくはなかった。きっと優しい彼女は、見知らぬ誰かのために傷つき、心を痛めることになるだろうから。

私は、彼女が生贄文化の話を聞きたがる度に、君が知る必要はない話だ、と言い、そして納得いかない表情をする彼女を抱き寄せ、その頭を撫でた。そうすることで彼女は、それ以上は何も言わず、静かに眠ってくれたのだ。しかし、物事は、私の思っていた以上に複雑な事情を含んでいた。そのことを知ることとなったのは、私が島に来て3年が経った頃。彼女がちょうど、17になる年のことだった。

私が島の暮らしにすっかり慣れ、島の人々も私のことを昔からの仲間のように扱ってくれるようになっていた頃。私の本が盗まれたことがあった。嵐で全てを失った私が、ただ一つ、失わずに持ち続けたその羊皮紙の分厚い本。それは、私が世界を回って見聞きした物や話を記した物だった。私にとっては、命と同じほど大切な物であり、ずっと肌身離さずに持ち歩いていた、本当に大切な物だった。

眠る前、枕元に置いていたその本が、目が覚めた時には消えていた。部屋中を探しても見つからず、私は半狂乱になり村へ飛び出し、他の人々に聞いて回った。私のあまりの変わりように、島の人々も只事ではないと慌てたらしく、その日の昼に島民全員での集会が開かれるほどだった。

ただ、私は島の人々の中に盗みを行うような人間はいないと、そう信じていた。3年という月日を共に過ごしたのだ。彼らは、世界中のどの民族よりも信頼できる人間だった。集会で疑われたのは、子どもたちだった。私と仲の良い子たちが、悪ふざけでやったのではないか、と。正直、私の中でもその可能性が一番高いと思っていたが、子どもたちは全員否定し、それ以上言及する人々もいなかった。子どもたちに、嘘は絶対につくなと教え込んだのは他でもない私であり、そして彼らはそれを忠実に守ってくれていた。疑う余地はない。

結局、その集会で本の在り処を知る人間が名乗り出ることはなかった。私も、それ以上は騒がず、本のことは諦めることにした。その時の私にとっては、命と同じほど大切な本を失うことより、私に良くしてくれる島民たちを疑うことの方が辛かったのだ。しかし、その夜。私の本は思わぬ所から見つかることとなる。

その夜、島巫女の彼女は私の部屋に来なかった。不思議に思い彼女の部屋へ行くと、彼女は部屋の隅で膝を抱え、震えていた。どうしたのか、と、私が彼女に駆け寄ると、彼女は顔を上げず、震える声で何度も私に謝った。その腕の中には、私の本が抱えられていた。私は震える彼女を抱き寄せ、何も言わず、彼女が落ち着くのを待った。夜が明けるまで彼女は泣き続け、私の腕の中で何度も、ごめんなさい、と言うのだった。

朝日が昇った頃、ようやく落ち着いた彼女は、泣き疲れたのかそのまま眠ってしまった。私は、自分が本を棚にしまっていたことを忘れていただけだったと島民たちに説明し、まず騒動を収め、それから、その夜に、彼女に事情を聞くことにした。

その日、彼女は一度も部屋から出てこず、夜に部屋を訪れると、私の顔を見てまた泣き出してしまった。私は彼女の隣に座り、その頭を撫でる。

私は怒っていない、ただ、何故君がそんなことをしたのか知りたいだけなんだ。

彼女は涙を拭き、震える声で小さく答える。

生贄のこと、どうしても知りたくて。なんとかする方法が、ないかって。

また生贄の話か。どうして君はそんなに、その話を聞きたがる。

私が聞くと、彼女は私にすがりつくように私の腕を掴み、そして涙を流しながら言ったのだ。

助けてください。私、まだ死にたくなんてない。

彼女が何故、執拗なまでに生贄文化の話を聞きたがり、私の本を盗んでまでその情報を知ろうとしたのか、ようやくその理由がわかった。彼女は涙を流し、震えながら、話し始めた。琉球に伝わる神。生贄の島巫女の役割。そして、ニライカナイと呼ばれる、もう一つの琉球の話を。

 

少し、話し疲れました。

老紳士は、大きく息を吐き、そして体を伸ばす。

長い話で申し訳ない。聞くのも疲れたでしょう。

いえ、とても面白いお話です。

お世辞でも社交辞令でもなく、本当に面白い話だ。彼の話し方も相まって、つい聞き入ってしまった。

何か、飲み物を買ってきますよ。よろしければ、続きも聞かせていただきたいのですが。

こんな老人の話でよければ。

嬉しそうに笑う老紳士を残し、俺は早歩きで自動販売機へ向かう。温かいお茶を二本買い、そして今度は駆け足で、先ほどの席へと向かった。

窓の外を降る雪は、まだまだ止みそうにない。ニライカナイの物語は、次の話へと続く。

かきかたの本

生きることは、書くことと見つけたり。

師走の終わりは年の終わり。2016年が、もう終わる。今年最後の記事として、とっておきの長い記事を書いていたのだが、なんというか、このブログに書くにはあまりにも“ガチ”な内容となってしまったので、それは下書きの中に眠らせることにした。このブログを初めて半年。こんな風に、下書きの中に眠っている記事は、公開された記事と同じほどある。宝物のように大切に下書きの中にしまっている書きかけのそれらを、俺は時折、一人で読み返し、そして呆れたり、恥ずかしくなったり、ふふっと小さく笑ったりなどするのだ。

話はそれてしまったが、というわけで、この年の瀬に書く記事が無くなってしまったのだが、かと言って、書き納めをしないわけにもいかないな、と思い、何の当てもなくこの記事を書いている。だって、2016年最後の更新が、クリスマスイヴに一人で訳のわからない2人組の路上ライブを見に行った記事だなんて、そんなのは嫌じゃないか。そんなブログ、面白いわけがない。いや、それでも俺のブログは面白いのだが。

さて、といっても、書くことが全くないわけではない。先ほども少し書いたように、このブログ。最初の記事が公開されてから、今日でちょうど半年となる。この半年で、26件の記事を公開してきたが、その中で、このブログについてを言及したことはなかった。というわけで、今夜はこのブログの始まった理由、そして在り方について、話そうと思う。

〜Roots of Kakikatano〜

2016年6月30日。かきかたの本、最初の記事『雀荘と処女』が公開された日。この記事は、このブログの起源に繋がる記事であり、俺自身の目指すブログの姿がこの記事といっても過言ではない。最初の記事が最後に目指す目標となっているという、なんとも“あべこべ”なブログではあるが、その点に関しては、俺自身もよくわかっていないので、これからの記事を書いていく中で明らかになっていくかもしれないし、いかないかもしれない。

そもそものきっかけは、この雀荘と処女という話の冒頭「処女の陰毛は幸運のお守りになるらしい」という一行を書きたかったことにある。どこかで聞いた、記憶の中にだけある、そんな話。そんな俺の頭の中にだけしか存在しない話に、言葉や物語という可視化できる“肉体”を与え、そしてこの世界に送り出してやりたかった。そんな風に思い、その方法を考えた末にたどり着いたのが、はてなブログであり、この、かきかたの本であった。

言うのもおこがましいことではあるが、中学高校と、作家を目指して数十の物語を書いていた俺は、頭の中にあるものを文章として書き出す能力は、他の人よりも秀でている、と思う。それに、長い文章を書くことも昔から好きだった。そんな俺にとって、書きたいことを書きたいまま、好きな時に、何にも縛られず自由に書けるブログというものは、非常に相性が良かったのだと思う。

そんなわけで、一本目の記事を書き上げた俺は、自分の頭の中にあるものを、自由に脚色し、文字数や時間に縛られるずに書ける楽しさにすっかり魅了されてしまったのである。それから、日常生活の中でふと思ったことや、頭の中に浮き上がったストーリーの一部を、そのまま消えてしまう前に形に残し、少しの真実と大げさな嘘を織り交ぜた物語としてこのブログに書き残すようにしていった。

当然、書いて公開するからには、多くの人に読んでもらいたい。はてなブログの読者が2名しかおらず、更新しても数名しか閲覧がないこんなブログであっても、だ。実際にこのブログの記事を読んでくれている変わり者は数名いる。直接会った時に話をされたこともある。大体の感想は、面白い、か、意味がわからない、だ。やはり、自分の書いたものを面白いと言ってもらえるのは、嬉しいし、意味がわからないと言われるのも、それはそれで面白くていい。ただ、このブログの一番の読者は、間違いなく、俺自身だ。暇さえあれば、自分が過去に書いた記事や下書きを読み返し、時には一人で笑ったりなどしている。だって、面白いんだもの。なんて、そんな風に自己完結してしまっているから、このブログが有名になることはないだろう。

と、まあ、浅い浅い、このブログのルーツを語ってみたが。そんなブログでも、今となっては、俺の人生においては既に欠かせない、大きな存在となっている。俺の私生活の中で起こった真実を含んだ短い物語たちは、さながら俺の子どもたちのようなもので、その集大成であるこのブログは、俺の生きてきた証のようなものだ。と、そんな風に言ってしまうと気持ち悪いと思われるかもしれないが、その気持ち悪さも含めて俺であり、かきかたの本なのだ。

文章を書くことが好きだ。物事を面白おかしく、時には適当に、時には文章間の繋ぎや最後の締めくくりで数十分悩んだりなんてしながら。そんな風に書き上げた物語を読み返すことが好きだ。それらは、自分のたどってきた人生の足跡だ。

俺はこれからも、このブログと共に歩み続けるだろう。自分の人生を面白おかしく脚色して書きながら。いつか進むことに疲れ、足を止めて振り返った時、これまで歩んできた道を思い出せるように。

さて、 2016年ももうあと数時間で終わる。年が変わったところで、俺の日々は変わらない。切り替えるほどの気持ちの変化も特にない。

ただ、一つ思うことは、来年も俺の人生が面白い出来事で溢れ、そして俺自身も、より面白い人間として生きていくことが出来ればいいな、と、それだけである。

今年は、ありがとうございました。

来年も、かきかたの本をよろしくお願い申し上げます。

聖なる夜に処女は死ぬ

姫路行き新快速列車の中で、窓の外を流れる曇天模様の景色を見ながら俺は、そんなタイトルの物語を考えていた。

今日はクリスマスイヴ。明日はクリスマス。この二日間は多くの人々にとって“特別な日”だろう。そんな日になぜ俺は、普段なら乗ることのない電車に乗り、普段なら行くことのない姫路へ向かっているのか。それはきっと、俺も今日という日を特別なものにしたかったからだろう。

NoLimitという、いかにも安っぽい名前で、道端で歌を歌っている二人組がいる。彼らは高校時代の友人なのだが、今日、今年最後の路上ライブをするとのことだったので、俺はわざわざ姫路まで出向き彼らのそこそこ上手いバラードを聴いた。雨もパラつく悪天候、寒空の下、数人の前で彼らは愛や恋などと歌っていた。俺は彼らと2、3言の挨拶を交わし、そして階段に座り、道行く人々の幸せそうな姿を眺めながら、先ほどの物語の続きを考える。

聖なる夜に処女は死ぬ。この物語は、愛のないセックスをした者が死ぬ世界で、人々が真実の愛を求めて悩み葛藤の中で生きていく話だ。主人公は三十路前の処女のOL。自分で考えた人物ではあるが、俺は彼女の生き方や考え方が本当に好きだ。しかし、彼女もこの物語も、日の目を見ることは、恐らくないだろう。俺はいつからか、物語を書くことが出来なくなっていた。

処女が好きだ。特別なものが好きだ。俺は、昔から、そうだったような気がする。顔がかわいかったり、おっぱいが大きかったりする人も当然好きなのだが、それとはやはり何かが違う。幻想を抱いているだけだと一蹴されてしまえばそれまでの話なのだが、なに、男というものはいつだって夢見がちなものなのだ。聖なる夜に、聖なる乙女の幻想を抱いて眠ったっていいだろう。

いよいよ寒くなってきたので、俺はNoLimitの2人に別れを告げ、姫路の街を歩く。街には多くのサンタクロースが溢れていた。日本人のそういったところが俺は、どうしても嫌いになれなかった。ハロウィン、クリスマス、バレンタイン、その他諸々のイベントごと。特別な日は、何も考えずに素直に楽しめばいい。たとえばみんなで仮装して騒ぐだけの日や、愛する人へ贈り物をし、光り輝く街を歩く日。そんな日が年に数回あったっていいじゃないか。意味なんてものはきっかけであり、その理由は時代によって移り変わる。

しかし、その多くの人々の幸せの裏で、苦しんでいる人もいるだろう。たとえば、サンタクロースの服を着てバイクに乗るピザ屋の若い兄ちゃん。安い時給でクリスマスイブの夜に幸せを運ぶ彼は、現代の悲しいサンタクロースだ。もし、サンタクロースが本当にいるのだとすれば。彼らのような、孤独の中で働く人々へ、ちょっとしたプレゼントを送ってあげてほしい。

バイトを終え、暗い気持ちでサンタ服を脱いだ彼は、スマホに新着メッセージが来ていることに気づく。それは、気になるあの子からの“メリークリスマス”のメッセージ。彼は少し微笑み、スマホの画面に向けて「メリークリスマス」と呟くのだ。

サンタクロースはいない。俺は小学校低学年の頃にそのことに気づいたし、今時の子どもたちならもっと早くに気づいているだろう。しかし、誰しもがサンタクロースになることは出来るのだと、俺は思う。子どもの頃、両親がひっそりと枕元にプレゼントを置いてくれていたように。

書きたいことをただ書いただけの記事になってしまった。結局、タイトルや冒頭の話とはほとんど関係ない話になっているし、今回は上手くオチをつけられそうもない。ただ、たまには書きたいことを書くだけの記事でもいいだろう。ブログというものは、そういうものだったはずだ。まあ、世界の誰でも見ることの出来る、世界の誰も見ていないこのブログで、そんな心配はする必要はないのだろうが。

さあ、明日はクリスマス。特別な日だ。特別な日、特別な人に、たった一言“メリークリスマス”だけでもいい。メッセージを送ろう。リボンもラッピングもなくたっていい。その一言が相手の心をほんの少しだけ、救うかもしれない。その時、君は今夜だけ、その相手にとってのサンタクロースになれる。そしてそれは、聖夜の奇跡と呼ぶには十分だろうと、俺は思う。

それでは、良いクリスマスを。この世界のどこかでこの記事を読んでいるサンタクロースへ。

さいたまのスポボブ

昔の女の話をしよう。

薄暗いバーのカウンターの隅で、ウィスキーを飲みながら。ジャズをBGMに、どこか遠くを見つめたりなんてしながら、さ。

俺はそういうことが“かっこよさ”だと思っている。思っているが、生憎、俺は酒が飲めないし、ジャズなんて聞く柄でもない。それに、まだ22の若造であり、かつ、学生時代に暗い青春を過ごしていた俺に、そんなニヒルに構えて話せるような女性との思い出話なんてものはない。

ただ、一人。

忘れられない女がいる。

なに、ただの昔の思い出話さ。かっこよさとはかけ離れた、暗い青春時代の俺の、一夜限りの恋。雨の夜に似合いの、退屈でくだらない男の昔語り。今夜はそんな、彼女の話をしよう。

 

7年ほど前の話になる。その頃、俺はとあるチャットサイトに入り浸っていた。AAチャットという、自分の好きなAAをアバターとして使い、吹き出しで会話するタイプのチャットサイトだ。そのサイトには定員10名の部屋が数十あり、俺はその中の“さいたま”という部屋にほぼ毎日のように顔を出していた。常連や古参と呼ばれる、昔からいるらしい人々とは一切関わらず、日々入れ替わり立ち替わり来る新たな顔ぶれとの会話を楽しんだ。

前述の通り、暗い青春時代を過ごしていた俺は、そのネットの中での人々との会話だけが唯一の楽しみであり、人生であったように思う。といっても、別にイジメられていたわけでも友達がいなかったわけでもない。ただ、退屈だったのだ。同じ顔ぶれの仲間と毎日同じ会話をし、恐らくその先の人生で使うことは無いであろう方程式や英語の構文をノートに書き写すだけの日々。好きな女子には、みんな彼氏がいた。

そんな退屈な日々の中で、そのチャットサイトで過ごす時間だけが俺にとっては唯一の刺激的な時間だった。“さいたま”にはいつも、年齢も性別も住んでいる場所も違う、様々な人々がいた。その中で俺は、小学生から40過ぎのオッサンまで、色々な人との会話を楽しんだ。時には、誰にも相手にされない日もあったし、荒らしや喧嘩師と呼ばれる連中に会話を邪魔されたこともあった。しかし、それを含めても、“さいたま”での日々は本当に面白かった。

ある夜、俺は、いつものようにさいたまを訪れた。部屋には二人の先客がおり、俺は会話を邪魔しないように部屋の隅の定位置に場所を取る。様子見の数名が入室と退室を繰り返したのち、彼女はやってきた。水色の猫のAAで、“スポボブ”という名前だった。彼女は、部屋の真ん中で話す二人の会話をしばらく聞いていたかと思うと、俺の隣にやってきて、そして「こんばんは!」と言ったのだった。

「こんばんはww」

「何歳ですか?」

「14です」

「年下だ!」

「え、何歳ですか」

「2個上だよ!」

「高校生ですか」

「そう!敬語やめて!」

たぶん、そんな会話から始まったのだと思う。ほぼ全ての言葉の後ろに“!”をつけるところが、かわいいなと思った。彼女との会話は、楽しい時間だった。部活や文化祭の話、高校受験の話、兄弟や家族の話、恋愛の話。学校ではしたことがなかった、そんな学生らしい話をたくさんした。顔も見えないし声も聞こえないが、それでも俺は彼女が、きっと素敵な人なのだろうなと、そんな風に思っていた。

「あ、お風呂行かなきゃ!」

23時を少し過ぎた頃、彼女がそんなことを言った。チャットサイトでの会話の終了の合図は、大体がそうだ。風呂に入る、か、寝る、か。頃合いになると、どちらかがそう言って、お開きになる。ああ、楽しい時間も終わりか。話していた時間は2時間ほどだったが、俺にとっては本当にあっという間だった。

「じゃあね!楽しかった!」

「こちらこそ!おやすみ!ノシ」

「おやすみ!」

そう言って、水色の猫のAAは煙となって消える。俺はため息を一つ、ログアウトボタンを押し、PCの電源を切る。風呂に入り、顔も名前も知らないスポボブに、想いを馳せる。また、話したいな。そんなことを思う。楽しい会話をしたのは、彼女が初めてではない。別れを惜しむ日もあった。しかし、こんな風に思うのは、彼女が初めてだった。AAチャットでの出会いというのは、一期一会だ。常連となれば話は別だが、この場所を訪れる人々の多くは暇つぶしか初見かのどちらかだ。一度話した相手と再び出会う可能性は、低い。

しかし、彼女はまだ眠るとは言っていなかった。そう、風呂に入ると言ったのだ。もしかしたら、もしかしたら、風呂から上がって寝るまでの間に、さいたまにまた来るかもしれない。なんて、そんな都合のいいことが起こるはずはない。と、思いつつも、風呂上がり、シャツを着るよりも先に俺はPCの電源を入れる。時刻は12時前。いつもなら、寝る支度をする時間だ。

さいたまを覗いてみて、少し待って、それでも彼女が来なかったら。その時は、大人しく眠ろう。もし、彼女が来たら。その時は、また会う約束をしよう。日にちと時間を決めて、このさいたまで。

 さいたまに入ると、そこに彼女の姿はなく、先ほどの2人がまだ会話を続けていた。そんなに上手くいくはずもないか。バスタオルで髪を拭きながら、2人の会話を眺めていると、見覚えのある水色の猫のAAが姿を現した。名前は、スポボブ。俺は彼女を知っている。

「あっ!」

俺を見つけ、彼女は言う。

「まだいたんだ!」

俺は胸のドキドキを抑え、震える手でキーを叩く。

「おかえりwww」

「ただいま!」

「俺もお風呂入ってた」

「そうなんだ!一緒だね!」

一緒だね。その言葉が、嬉しかった。彼女と同じ時を過ごし、同じことをし、そして今、こうしてまた話している。ただ、チャットサイトで話しているだけ。たまたま同じタイミングでログインしただけ。それだけのことなのに、当時の俺はそれを、まるで運命のようなものと思っていた。まるで彼女と、特別な関係になったような、そんな馬鹿な勘違いをしていた。

それからしばらく話し、彼女はそろそろ眠ると言った。別れを惜しむことはなかった。きっとまた会える。そう思っていた。

また話そうね!

去り際に、彼女はそう言った。今になって思うと、それは単なる社交辞令以外の何でもなく、この数時間も彼女にとっては単なる暇つぶしに過ぎなかったのだと思う。それでも俺は、浮かれていた。また話そうね。そんなことを言われたことは、なかった。

その日、俺はウキウキした気持ちで眠り、そして翌日、部活を終え、駆け足で家に帰り、すぐにチャットサイトへログインする。しかしその日、彼女は来なかった。きっと忙しいのだと、そう思った。そして、次に会う日を決めていなかったことを、少し後悔した。

それから数日、数週間と、俺はほぼ毎日、さいたまで彼女を待った。他の誰かと話すこともあったが、しかし、彼女以外との会話をこれまでのように楽しむことができない。数ヶ月が経ち、俺はそのチャットサイトを訪れることをやめた。

 きっと、もしかしたら、そんなはずは。誰もいない“さいたま”で彼女を待っている間、ずっと、そんなことを考えていた。繰り返し、何度も。そしてようやく気づいたのだ。彼女は、きっと来ないだろう、と。

男子中学生なんてものは、そういうものだ。一人で勝手に想像を膨らませ、浮かれてしまう。そしてある時、現実を知り、打ちひしがれるのだ。悲しいかな、俺も例に漏れず、そんな馬鹿な男子中学生の内の一人だった。

思えば、あれが俺の初恋だったのかもしれない。女子と会話をしたこともない、暗い男だった俺が、初めて楽しく会話をした相手。それがたとえ、チャットサイトの見知らぬ女だったとしても、俺にはそんなことは関係なかった。

きっと、この世界のどこかで生きているであろう今の彼女は、俺のことなど覚えてはいないだろう。もしかしたら、あのチャットサイトの存在さえも忘れてしまっているかもしれない。

それでも俺は、構わない。

俺は彼女の顔も、本当の名前も、住んでいる場所も、何も知らない。しかし、彼女は確かに存在した。7年前のあの日、さいたまに。

今でも俺は、時折、彼女のことを思い出す。夜空を眺めながら、この世界のどこかで生きている24歳の彼女へ想いを馳せるのだ。彼女も同じようにこの夜空を見上げているかもしれない、なんて、そんなことを思いながら。

あの明るい性格なら、きっと恋人はいるだろう。もしかしたら、もう結婚しているかもしれない。子どもがいるかもしれない。なんだっていい。彼女が生きて、幸せになっていてくれれば、俺はそれでいい。

さいたまのスポボブ。

俺には、この世界のどこかに、顔も名前も知らない、昔愛した女がいる。

ボーナスは妹払いで

会社のロッカーで着替える俺に、嬉しそうに話しかけてきたのは、いかにも人の良さそうな初老の男性だ。俺は彼のことを知っているが、彼のことを知らない。

彼とはロッカーが隣だが、顔を合わせることはほとんどない。部署も仕事も違うので、たまにどちらかが残業をしたりして、時間がずれた時にだけ、俺たちは出会う。だが、会う度に彼は、まるで昔からの飲み仲間と会った時のように俺に話しかけてくるのだ。そんな“とたけけ”のような彼の本当の名前も、部署も、年齢も、俺は知らない。だが、俺は彼のことを知っている。きっと、彼の名前や、部署や、年齢を知っている人よりも。

そういえばそうですね、何か使うご予定が?

んー、夕飯のオカズが一品増えるくらいだね。結婚しちゃうとどうしても、ね?

あっはは、まあ、それも一つの幸せですよ。僕は宝くじでも買いましょうかね。

おっ、ボーナス10億!夢があるねぇ。

なんて、そんな楽しい会話をしている間にも俺は、心の隅で、この人は誰だろう、とそんなことを思っている。そして、それが心地よかったりもするのだ。自分のよく知らない相手、自分のことをよく知らない相手。そういった人と話すのは、楽しい。会話の端々に、ちょっとした嘘を織り交ぜたりなんてしたりして、そんな風に純粋に、会話を楽しむことができるから。

水曜日の仕事終わり。束の間の会話を楽しんだ後、俺は駐車場で健気に俺を待つ愛車の元へ早歩きで向かう。12月の空は、19時でもすっかり暗闇だ。

ボーナス、か。車に乗り込みエンジンをかけ、一人ボソッと呟く。言われるまで、ボーナスのことなどすっかり忘れていた。貯金は人に言えるほど多くもないし、月の給料だって暇な大学生のアルバイト程度くらいしか貰っていない俺にとって、年に二度のボーナスは、貴重な貯蓄源である。貯蓄源という言葉が存在するからわからないが、生きているだけで何故か赤字の俺は、ボーナスでしか貯金が出来ない。それなのに、そんな大事なボーナスのことを忘れていたのは、きっと俺が、それほど金銭というものに執着を持っていないからなのだろう。

お金より大切な物がある。愛、友情、信頼、その他もろもろのありきたりな何か。金銭はあくまで単なる“手段”であり、それそのものにはメモ用紙程度の価値しかない。と、そんなことを思いながら、1日9時間、週5日、起きている時間の大半を、賃金のための労働に費やしている俺は、矛盾の存在といえるかもしれない。

月に一度の給料日や、年に二度のボーナスを楽しみに日々を頑張って働いている人は、少なくはないだろう。働いている人のほとんどは、きっと、お金のために働いているのだから、それは当然なのだろう。と、すると、俺は少し特殊なのかもしれない。

別に贅沢をしたいわけではない。ただ、生きるためにお金が必要なので働いてはいるが、そこまで生にも執着していないので、となると、そんなにお金が欲しいわけでもない。そんな風に、ふわふわと、緩い矛盾を抱えながら日々を生きているのだ。

だったらいっそ、ボーナスはお金以外のものの方がいい。お金で買えないもの、そう、例えば、妹なんてどうだろうか。年に二度、どこかに下宿している妹が家に帰って来るのだ。ああ、きっと最高だ。仕事を終え、疲れた体で家に帰ると、玄関に見慣れない懐かしい靴がある。俺は高揚する心を抑え、あくまで平静を装い、リビングへ向かう。

あ、おかえり。

おう、ただいま。それから、おかえり。

ふふっ、ただいま。

エプロン姿で台所に立つ妹は、髪が伸びたからだろうか、この半年でずいぶんと大人っぽくなったように見える。

お兄ちゃん、冷蔵庫の中なんにもなかったけど、ちゃんと食べてるの?

食べてるさ、ほら。

そう言って俺は、コンビニ弁当の入った袋を見せる。妹は呆れ顔で俺の手から袋を奪い取り、俺を無理やりリビングの椅子に座らせる。

今日は私が作るから、座って待ってて。

いや、いいよ、お前も疲れてるだろ。

いいから、待ってて。

妹は、鼻歌交じりに野菜を切ったり、ステップを踏みながら何かを煮込んだり、味見をして満足そうに笑ったり、そんな風に料理をする。俺はそんな彼女の姿を、飽きることなくずっと見ているのだ。

夕飯は、煮込みハンバーグと暖かいスープだった。久しぶりに食べたちゃんとした料理に、俺は思わず泣きそうになる。俺にとっては、ただ空腹を満たすだけの行為でしかなかった食事も、彼女と一緒なら幸せな時間となる。

それから俺たちは、くだらないバラエティ番組を見ながらお互いの近況を報告しあい、昔の思い出話なんかをしたりしながら、平日の夜の時間をゆっくりと過ごした。妹は笑ったり呆れたり、少し寂しそうな顔をしたり、何かを言いたそうに俺の顔をじっと見つめていたり、短い時間で本当に色々な表情を見せてくれた。俺もきっと、同じように色々な顔をしていただろう。社会に出て、感情の死んでしまった俺が、唯一人間らしい暖かい気持ちになれる時間だった。

しかし、残酷なことにも、楽しい時間というものは、あっという間に過ぎるというのが世の常である。俺が風呂から上がると、妹はテーブルに突っ伏すようにして眠っていた。風呂上がりで濡れた髪のまま、まったく、風邪を引いちまうぞ。俺は眠る妹の髪を乾かし、軽くとかし、そして彼女をベッドに運ぶ。我が家にはベッドは一つしかない。一緒に寝ても、彼女はきっと何も言わないだろう。しかし俺は、固いソファで眠る。それが、兄というものなのだ。

朝、目覚めると彼女の姿はなくなっていた。テーブルの上には朝食が用意されており、裏返しに置かれたカップで押さえられた置き手紙には、可愛らしい字で『お仕事頑張ってね。また半年後に帰ってきます。妹』と書かれていた。

また、いつもと変わらぬ孤独で退屈な日々が始まる。俺はため息をつき、カーテンを開く。眩しい朝日が寝起きの顔に容赦なく差し込み、俺は思わず目を覆った。

なんだ、いい天気じゃねえか。

 

人生においてのボーナスというものは、きっとお金などではないのだろう。それは例えば、息を飲むような壮大な自然の風景であったり、誰にも体験できないような何事にも変えがたい経験であったり、昔好きだったあの子からの数年ぶりの手紙であったり、久しぶりに会った妹と過ごす平日の夜の時間であったり。

そういった、特別な出来事や時間。これからも頑張って生きていこうと、そんな風に思えるかけがえのない何か。そういったものが、人生におけるボーナスなのだろう。と、俺は思う。

俺には妹はいない。しかし、一生懸命働いていれば、いつかきっと、家の玄関に見慣れない懐かしい靴がある日が来るかもしれない。そんな日を夢見ながら、俺は日々を生きるのだ。

少し大人っぽくなった君に、ただいまとおかえりを言える、そんな日を。

飯屋は風俗店に似ている

飯屋は風俗店に似ている。

祝日の午後20時。餃子の王将のカウンター席に一人座り、俺はふと、そんなことを思う。

今夜は、素敵な女性と食事をする予定だったのだが、訳あって俺は今、王将のカウンター席で左右をオッサンに囲まれながら、注文した料理が運ばれてくるのを待っている。

どういう訳があって、そんな天国と地獄のようなことになってしまったのか、語る術を俺は持たないが、人生というのはそういうものなのだ。たくさんの人間がそれぞれに“訳”を抱えてこの世界を生きている。たまたま、お互いの訳がすれ違ったりすることも、それは当然、ありうることなのだ。そして俺は、そういった人生が、やはり嫌いではなかった。

さて、飯屋は風俗店に似ている。

そんな風に思ったのは、たまたま俺が、今日という日に孤独を抱えていたからなのかもしれない。金を払って食欲か性欲を満たすかの違い、などと、そんな薄っぺらな理由ではない。俺が言いたいのは、心の問題なのだ。

恐らく高校生であろう、いたいけなバイト少女が、疲れた表情で俺の前に天津炒飯セットを置く。この瞬間だ。考えてみてほしい。日常的に、誰かの前に料理を置くことがあるか。日常的に、誰かが自分の前に料理を置いてくれることがあるか。ここでいう、日常的にというのは、業務的なものを抜きにしたものだ。

答えはイエスとノーに分かれるだろうが、イエスの人は更に考えてほしい。その相手は誰か。恋人か、親か、兄弟かもしれないが、その相手は日常的に食事を共にする家族だろう。つまり、料理を置く、もしくは料理を置いてもらう、ということは、一般的に、一つ屋根の下に住む家族にしかすることのない行為なのだ。

彼女が俺の前に天津炒飯セットを置いた瞬間。互いに思いは無くとも、その瞬間だけは、俺たちは恋人となり兄弟となり、家族となる。俺はその瞬間に、980円を支払っているのだ。空腹が満たされることなど、ことのついでに過ぎない。

その意味では、風俗店も同じようなものなのだと思う。その行為は、本来であれば恋人や夫婦といった深い関係でなければ行うことはない。彼らはきっと、心の寂しさを埋めるためにそこへ通うのだ。ただヤりたい、そんなくだらない理由ではない。そこには耐え難い孤独と、手に入らない愛を渇望する“想い”が確かに存在する。彼らには彼らの“訳”があるのだ。

と、こんな風に熱く語ってはいるが、俺は風俗店には行ったことはない。これから行くことも、恐らくないだろう。特にこれといった理由や拘りがあるわけではないが、それもまた、俺という人間の人生の“訳”なのだろう。

話は少し変わるが、そんな俺に、風俗をやたらと勧めてくる先輩がいる。彼曰く「行くと自信がつく」とのことだ。確かに彼は、いつも自信に満ち溢れている。37歳独身実家暮らしの恋人無し。体重130kgの巨漢であり、自分で散髪している坊主頭のてっぺんにはすでに毛がない。若手にはバカにされ、上司にも期待されず、それでも彼がいつも自信に満ち溢れている理由は、月に何度も風俗店に行っているからなのだろう。「オンナは押せば落とせる」と彼は自信満々に言う。それはきっと、お気に入りの嬢をネットで予約してから店に出向くからだろう。

彼にとって風俗は、人生における一つの、なんというのだろうか、“大切な何か”なのだろう。みんなの嫌われ者ではあるが、俺はそんな彼のことが嫌いになれない。例えば彼が風俗に通うことをやめ、真面目に清い生活を送ったとしよう。それだけで恋人ができて結婚できるほど、世界は甘くはない。それならば、いっそ割り切って風俗に通い、その場しのぎの愛で心を満たす方がよっぽど合理的ではないだろうか。辛い現実を見ることをやめ、割り切った生き方を選んだ彼は、誰がなんと言おうと、潔く清い。そして同時に、どうしようもなく、みじめで、情けない。それでいいのだ。みじめで、情けなくたって、それもまた一つの人生。誰に文句を言われる筋合いもない。

カウンター席での一人の食事というものは、ついつい余計なことまで考えてしまっていけない。20分ほど前から空いている俺の前の皿を下げたいのだろう、よく日に焼けたバイト少年がハゲワシの如くウロウロしながらこちらの様子を伺っている。安心しろ、もう出るさ。

伝票を手に、レジへ向かうと、そこには俺の前に料理を置いたあのバイト少女が立っていた。もうすぐ上がりの時間なのだろうか、彼女の表情は先ほどと比べて少し穏やかなものとなっている。料金を支払い、背を向けた俺に、ありがとうございました、と彼女が言う。俺は背を向けたまま片手を上げ、行ってきます、と返した。

彼女はきっと、怪訝な顔をしていただろう。ただ、それでも、たとえ一瞬でも、俺と彼女は家族だったのだ。あのカウンター席は、幸せな家庭のダイニングのテーブルで、彼女は仕事に疲れた俺に温かい料理を作って待っていてくれたのだ。そういうことにしておいてくれ。それだけで俺は、ほんの少しだけ、救われるのだから。

こんな風に俺は、その場しのぎの愛を空っぽの心に少しずつ給油しながら、この人生という長い道を進み続けている。見渡す限りの荒野には、モーテルもガソリンスタンドも見えない。

いつか俺も、ガス欠を気にすることなく自由にこの道を走ることが出来るのだろうか。その時、隣には誰が乗っているのだろうか。

そんなことを思いながら、俺は車に乗り込みエンジンをかける。見慣れない警告灯が光ったので確認すると、ガソリンメーターがEを少し過ぎた位置を指していた。

お前もか、そう言って俺は少し笑い、近くのガソリンスタンドへ向けて車を走らせる。

そうして今度は、こう思うのだ。

ガソリンスタンドは風俗店に似ている、と。