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かきかたの本

書き方の練習

無人島に持って行くもの

無人島に一つだけ何か持っていけるとすれば、何を持って行きますか?

何度も聞いたことのある質問。しかし、それを投げかけてきたのは見知らぬ男だった。

三連休最終日の夜。明日からの仕事のことを考え、憂鬱な気分でコンビニへ向かっていた時のことだ。清潔なスーツに身を包んだ、これまた清潔そうな肌をした中年の男は、いつの間にか俺の前に現れ、そんなことを言ったのだ。最初は何かの宗教か、詐欺か、そんなところだろうと思ったが、しかし、俺はその質問に興味があり、足を止めた。

あなたなら、何を持って行きますか?

質問に質問で返すのは、あまり喜ばれることではないが、しかし、突然見知らぬ相手に不躾な質問を投げかけられたのだ。こちらから質問を投げ返しても悪くはないだろう。男は顎に手を当て、少し考えるようにして応える。

何か火を起こせるもの、ライターか、マッチか、燃料の必要ない虫眼鏡などもいいですね。

いかにも、現実的な回答である。つまらないな、と思ったが、口には出さない。この質問は、きっと、その人間の本質を見抜くためのものなのだろうと思う。彼は、どこまでも冷静に、現実的に物事を考える男なのだろう。そして、こういった人間は無意味なことをしない。つまり、突然、見知らぬ俺に声をかけてきたことにもきっと、何か意図があるはずだ。俺は少し考え、そして、自分が思う、無人島に持って行く物を答えるのだった。

 

照りつける太陽と波の音で、目を覚ます。夜のコンビニへ向かっていたはずだが、いつの間にか俺は、真昼の太陽の下、広い砂浜の上にいた。わけがわからない。立ち上がろうとした俺の手に、何かが当たる。それは、俺があの男に、無人島に一つだけ何かを持って行けるならこれを持って行くと答えた物だった。

と、すると、ここは無人島か。何が目的で、俺を無人島に連れて来たんだ。いや、まだわからない、とにかく島を周ってみよう。俺は、たった一つだけ、元の世界から持って来ることのできた物を手に抱え、そして砂浜を歩き出す。

島を、どれだけ歩いたかはわからない。森に入り、川を見つけたので、そこでとりあえず水分補給は出来た。しかし、今日はそこまでだ。日が暮れる。今日は何月何日だろう。俺が出るはずだった会議は、どうなったのだろう。資料データは俺のパソコンに入っている、次に出社した時、上司に怒られるだろうな。砂浜に座り、水平線の向こうに沈む夕日を眺めながら、そんなことを考える。

どうやらここは、本当に無人島らしい。いや、まだ確証は持てないが、日本ではないことは確かだ。空に広がる満天の星空。その星座の位置から、恐らくここは太平洋上のどこかの島だろう。川が流れているほどで、森の先には山も見える。それなりの広さはありそうだし、動物も生息していそうだ。火を起こす事さえできれば、あとは何とかなるかもしれない。

空に浮かぶ月を見ながら、俺は少し後悔していた。俺も、ライターって言ってればよかったな。一人、呟き、そして脇に置いていたそれに手を伸ばす。それは、高校の卒業アルバムだった。

そう、俺が無人島にたった一つだけ持って行けるならこれを持って来ると言ったものは、高校の卒業アルバムだ。島は、夜でも月明かりでぼんやりと明るい。静かな波の音と虫の声を聞きながら、アルバムを開く。数年ぶりに開いたそこには、懐かしいクラスメイトたちの顔と、丸坊主の頭でヘラヘラと笑うあの頃の俺がいる。

俺が、卒業アルバムを持って行くと答えた時、男は驚いたような表情で、なぜかと聞いた。現実的な考えをする人間には、きっとわからないだろう。俺はただ一言、生きる為に一番必要な物だから、とだけ答えた。

夜は少し冷えるが、まだ我慢できないほどではない。俺は大きな葉っぱに包まり、積んだ砂を枕に横になる。誰が何のために、俺をこの無人島に連れて来たのか。その理由は全くわからない。だが、とにかく俺はここで生き抜く術を見つけるしかないらしい。

俺は目を閉じる前に、もう一度、アルバムを開く。一番後ろのページ、真っ白なページを埋めるように書かれた級友たちからのメッセージの中、控えめな字で書かれた“また会おうね”の文字。それは、ずっと好きだったあの子に書いてもらったメッセージだ。俺はその文字を指でなぞり、ため息をつき、アルバムを閉じた。

まったく、おかしな話だ。どこかもわからない無人島に連れて来られ、食料も寝床もなく、明日からどうやって生きようかという時に、俺は学生時代の思い出に胸を締め付けられている。

だが、人間に必要なものは、そういうことなのだと思う。ライターやナイフや毛布や医療品。無人島で生き抜くために必要な実用的なものは、多くある。それでも、俺がアルバムを選んだ理由は、そこにある。人間はいつだって、過去の思い出を背負いながら生きているのだ。時に、その思い出を糧とし、時にその重さに苦しめられながら。そういった諸々を受け止め、時に受け止めきれずにこぼしながら、歩み続けるのだ。それ故に、人間として生きることができるのだと、俺はそう思う。

“また会おうね”と、彼女がそう書いたのは、単なる社交辞令だったのだろうか。高校を卒業して以来、彼女とは一度も会っていない。

もし、生きて帰ることができたのなら彼女に会いに行こう。真上に見える半分に割れた月を見上げ、俺は思う。

何年先になったって、彼女が結婚していたってかまわない。ずっと伝えることのできなかった思いを、彼女に伝えよう。そんな決意とアルバムを胸に抱き、俺は眠りにつく。

世界のどこかにあるこの島から、同じくこの世界のどこかで生きている彼女に想いを馳せながら。