かきかたの本

書き方の練習

飯屋は風俗店に似ている

飯屋は風俗店に似ている。

祝日の午後20時。餃子の王将のカウンター席に一人座り、俺はふと、そんなことを思う。

今夜は、素敵な女性と食事をする予定だったのだが、訳あって俺は今、王将のカウンター席で左右をオッサンに囲まれながら、注文した料理が運ばれてくるのを待っている。

どういう訳があって、そんな天国と地獄のようなことになってしまったのか、語る術を俺は持たないが、人生というのはそういうものなのだ。たくさんの人間がそれぞれに“訳”を抱えてこの世界を生きている。たまたま、お互いの訳がすれ違ったりすることも、それは当然、ありうることなのだ。そして俺は、そういった人生が、やはり嫌いではなかった。

さて、飯屋は風俗店に似ている。

そんな風に思ったのは、たまたま俺が、今日という日に孤独を抱えていたからなのかもしれない。金を払って食欲か性欲を満たすかの違い、などと、そんな薄っぺらな理由ではない。俺が言いたいのは、心の問題なのだ。

恐らく高校生であろう、いたいけなバイト少女が、疲れた表情で俺の前に天津炒飯セットを置く。この瞬間だ。考えてみてほしい。日常的に、誰かの前に料理を置くことがあるか。日常的に、誰かが自分の前に料理を置いてくれることがあるか。ここでいう、日常的にというのは、業務的なものを抜きにしたものだ。

答えはイエスとノーに分かれるだろうが、イエスの人は更に考えてほしい。その相手は誰か。恋人か、親か、兄弟かもしれないが、その相手は日常的に食事を共にする家族だろう。つまり、料理を置く、もしくは料理を置いてもらう、ということは、一般的に、一つ屋根の下に住む家族にしかすることのない行為なのだ。

彼女が俺の前に天津炒飯セットを置いた瞬間。互いに思いは無くとも、その瞬間だけは、俺たちは恋人となり兄弟となり、家族となる。俺はその瞬間に、980円を支払っているのだ。空腹が満たされることなど、ことのついでに過ぎない。

その意味では、風俗店も同じようなものなのだと思う。その行為は、本来であれば恋人や夫婦といった深い関係でなければ行うことはない。彼らはきっと、心の寂しさを埋めるためにそこへ通うのだ。ただヤりたい、そんなくだらない理由ではない。そこには耐え難い孤独と、手に入らない愛を渇望する“想い”が確かに存在する。彼らには彼らの“訳”があるのだ。

と、こんな風に熱く語ってはいるが、俺は風俗店には行ったことはない。これから行くことも、恐らくないだろう。特にこれといった理由や拘りがあるわけではないが、それもまた、俺という人間の人生の“訳”なのだろう。

話は少し変わるが、そんな俺に、風俗をやたらと勧めてくる先輩がいる。彼曰く「行くと自信がつく」とのことだ。確かに彼は、いつも自信に満ち溢れている。37歳独身実家暮らしの恋人無し。体重130kgの巨漢であり、自分で散髪している坊主頭のてっぺんにはすでに毛がない。若手にはバカにされ、上司にも期待されず、それでも彼がいつも自信に満ち溢れている理由は、月に何度も風俗店に行っているからなのだろう。「オンナは押せば落とせる」と彼は自信満々に言う。それはきっと、お気に入りの嬢をネットで予約してから店に出向くからだろう。

彼にとって風俗は、人生における一つの、なんというのだろうか、“大切な何か”なのだろう。みんなの嫌われ者ではあるが、俺はそんな彼のことが嫌いになれない。例えば彼が風俗に通うことをやめ、真面目に清い生活を送ったとしよう。それだけで恋人ができて結婚できるほど、世界は甘くはない。それならば、いっそ割り切って風俗に通い、その場しのぎの愛で心を満たす方がよっぽど合理的ではないだろうか。辛い現実を見ることをやめ、割り切った生き方を選んだ彼は、誰がなんと言おうと、潔く清い。そして同時に、どうしようもなく、みじめで、情けない。それでいいのだ。みじめで、情けなくたって、それもまた一つの人生。誰に文句を言われる筋合いもない。

カウンター席での一人の食事というものは、ついつい余計なことまで考えてしまっていけない。20分ほど前から空いている俺の前の皿を下げたいのだろう、よく日に焼けたバイト少年がハゲワシの如くウロウロしながらこちらの様子を伺っている。安心しろ、もう出るさ。

伝票を手に、レジへ向かうと、そこには俺の前に料理を置いたあのバイト少女が立っていた。もうすぐ上がりの時間なのだろうか、彼女の表情は先ほどと比べて少し穏やかなものとなっている。料金を支払い、背を向けた俺に、ありがとうございました、と彼女が言う。俺は背を向けたまま片手を上げ、行ってきます、と返した。

彼女はきっと、怪訝な顔をしていただろう。ただ、それでも、たとえ一瞬でも、俺と彼女は家族だったのだ。あのカウンター席は、幸せな家庭のダイニングのテーブルで、彼女は仕事に疲れた俺に温かい料理を作って待っていてくれたのだ。そういうことにしておいてくれ。それだけで俺は、ほんの少しだけ、救われるのだから。

こんな風に俺は、その場しのぎの愛を空っぽの心に少しずつ給油しながら、この人生という長い道を進み続けている。見渡す限りの荒野には、モーテルもガソリンスタンドも見えない。

いつか俺も、ガス欠を気にすることなく自由にこの道を走ることが出来るのだろうか。その時、隣には誰が乗っているのだろうか。

そんなことを思いながら、俺は車に乗り込みエンジンをかける。見慣れない警告灯が光ったので確認すると、ガソリンメーターがEを少し過ぎた位置を指していた。

お前もか、そう言って俺は少し笑い、近くのガソリンスタンドへ向けて車を走らせる。

そうして今度は、こう思うのだ。

ガソリンスタンドは風俗店に似ている、と。