かきかたの本

書き方の練習

聖なる夜に処女は死ぬ

姫路行き新快速列車の中で、窓の外を流れる曇天模様の景色を見ながら俺は、そんなタイトルの物語を考えていた。

今日はクリスマスイヴ。明日はクリスマス。この二日間は多くの人々にとって“特別な日”だろう。そんな日になぜ俺は、普段なら乗ることのない電車に乗り、普段なら行くことのない姫路へ向かっているのか。それはきっと、俺も今日という日を特別なものにしたかったからだろう。

NoLimitという、いかにも安っぽい名前で、道端で歌を歌っている二人組がいる。彼らは高校時代の友人なのだが、今日、今年最後の路上ライブをするとのことだったので、俺はわざわざ姫路まで出向き彼らのそこそこ上手いバラードを聴いた。雨もパラつく悪天候、寒空の下、数人の前で彼らは愛や恋などと歌っていた。俺は彼らと2、3言の挨拶を交わし、そして階段に座り、道行く人々の幸せそうな姿を眺めながら、先ほどの物語の続きを考える。

聖なる夜に処女は死ぬ。この物語は、愛のないセックスをした者が死ぬ世界で、人々が真実の愛を求めて悩み葛藤の中で生きていく話だ。主人公は三十路前の処女のOL。自分で考えた人物ではあるが、俺は彼女の生き方や考え方が本当に好きだ。しかし、彼女もこの物語も、日の目を見ることは、恐らくないだろう。俺はいつからか、物語を書くことが出来なくなっていた。

処女が好きだ。特別なものが好きだ。俺は、昔から、そうだったような気がする。顔がかわいかったり、おっぱいが大きかったりする人も当然好きなのだが、それとはやはり何かが違う。幻想を抱いているだけだと一蹴されてしまえばそれまでの話なのだが、なに、男というものはいつだって夢見がちなものなのだ。聖なる夜に、聖なる乙女の幻想を抱いて眠ったっていいだろう。

いよいよ寒くなってきたので、俺はNoLimitの2人に別れを告げ、姫路の街を歩く。街には多くのサンタクロースが溢れていた。日本人のそういったところが俺は、どうしても嫌いになれなかった。ハロウィン、クリスマス、バレンタイン、その他諸々のイベントごと。特別な日は、何も考えずに素直に楽しめばいい。たとえばみんなで仮装して騒ぐだけの日や、愛する人へ贈り物をし、光り輝く街を歩く日。そんな日が年に数回あったっていいじゃないか。意味なんてものはきっかけであり、その理由は時代によって移り変わる。

しかし、その多くの人々の幸せの裏で、苦しんでいる人もいるだろう。たとえば、サンタクロースの服を着てバイクに乗るピザ屋の若い兄ちゃん。安い時給でクリスマスイブの夜に幸せを運ぶ彼は、現代の悲しいサンタクロースだ。もし、サンタクロースが本当にいるのだとすれば。彼らのような、孤独の中で働く人々へ、ちょっとしたプレゼントを送ってあげてほしい。

バイトを終え、暗い気持ちでサンタ服を脱いだ彼は、スマホに新着メッセージが来ていることに気づく。それは、気になるあの子からの“メリークリスマス”のメッセージ。彼は少し微笑み、スマホの画面に向けて「メリークリスマス」と呟くのだ。

サンタクロースはいない。俺は小学校低学年の頃にそのことに気づいたし、今時の子どもたちならもっと早くに気づいているだろう。しかし、誰しもがサンタクロースになることは出来るのだと、俺は思う。子どもの頃、両親がひっそりと枕元にプレゼントを置いてくれていたように。

書きたいことをただ書いただけの記事になってしまった。結局、タイトルや冒頭の話とはほとんど関係ない話になっているし、今回は上手くオチをつけられそうもない。ただ、たまには書きたいことを書くだけの記事でもいいだろう。ブログというものは、そういうものだったはずだ。まあ、世界の誰でも見ることの出来る、世界の誰も見ていないこのブログで、そんな心配はする必要はないのだろうが。

さあ、明日はクリスマス。特別な日だ。特別な日、特別な人に、たった一言“メリークリスマス”だけでもいい。メッセージを送ろう。リボンもラッピングもなくたっていい。その一言が相手の心をほんの少しだけ、救うかもしれない。その時、君は今夜だけ、その相手にとってのサンタクロースになれる。そしてそれは、聖夜の奇跡と呼ぶには十分だろうと、俺は思う。

それでは、良いクリスマスを。この世界のどこかでこの記事を読んでいるサンタクロースへ。