かきかたの本

書き方の練習

かきかたの本

生きることは、書くことと見つけたり。

師走の終わりは年の終わり。2016年が、もう終わる。今年最後の記事として、とっておきの長い記事を書いていたのだが、なんというか、このブログに書くにはあまりにも“ガチ”な内容となってしまったので、それは下書きの中に眠らせることにした。このブログを初めて半年。こんな風に、下書きの中に眠っている記事は、公開された記事と同じほどある。宝物のように大切に下書きの中にしまっている書きかけのそれらを、俺は時折、一人で読み返し、そして呆れたり、恥ずかしくなったり、ふふっと小さく笑ったりなどするのだ。

話はそれてしまったが、というわけで、この年の瀬に書く記事が無くなってしまったのだが、かと言って、書き納めをしないわけにもいかないな、と思い、何の当てもなくこの記事を書いている。だって、2016年最後の更新が、クリスマスイヴに一人で訳のわからない2人組の路上ライブを見に行った記事だなんて、そんなのは嫌じゃないか。そんなブログ、面白いわけがない。いや、それでも俺のブログは面白いのだが。

さて、といっても、書くことが全くないわけではない。先ほども少し書いたように、このブログ。最初の記事が公開されてから、今日でちょうど半年となる。この半年で、26件の記事を公開してきたが、その中で、このブログについてを言及したことはなかった。というわけで、今夜はこのブログの始まった理由、そして在り方について、話そうと思う。

〜Roots of Kakikatano〜

2016年6月30日。かきかたの本、最初の記事『雀荘と処女』が公開された日。この記事は、このブログの起源に繋がる記事であり、俺自身の目指すブログの姿がこの記事といっても過言ではない。最初の記事が最後に目指す目標となっているという、なんとも“あべこべ”なブログではあるが、その点に関しては、俺自身もよくわかっていないので、これからの記事を書いていく中で明らかになっていくかもしれないし、いかないかもしれない。

そもそものきっかけは、この雀荘と処女という話の冒頭「処女の陰毛は幸運のお守りになるらしい」という一行を書きたかったことにある。どこかで聞いた、記憶の中にだけある、そんな話。そんな俺の頭の中にだけしか存在しない話に、言葉や物語という可視化できる“肉体”を与え、そしてこの世界に送り出してやりたかった。そんな風に思い、その方法を考えた末にたどり着いたのが、はてなブログであり、この、かきかたの本であった。

言うのもおこがましいことではあるが、中学高校と、作家を目指して数十の物語を書いていた俺は、頭の中にあるものを文章として書き出す能力は、他の人よりも秀でている、と思う。それに、長い文章を書くことも昔から好きだった。そんな俺にとって、書きたいことを書きたいまま、好きな時に、何にも縛られず自由に書けるブログというものは、非常に相性が良かったのだと思う。

そんなわけで、一本目の記事を書き上げた俺は、自分の頭の中にあるものを、自由に脚色し、文字数や時間に縛られるずに書ける楽しさにすっかり魅了されてしまったのである。それから、日常生活の中でふと思ったことや、頭の中に浮き上がったストーリーの一部を、そのまま消えてしまう前に形に残し、少しの真実と大げさな嘘を織り交ぜた物語としてこのブログに書き残すようにしていった。

当然、書いて公開するからには、多くの人に読んでもらいたい。はてなブログの読者が2名しかおらず、更新しても数名しか閲覧がないこんなブログであっても、だ。実際にこのブログの記事を読んでくれている変わり者は数名いる。直接会った時に話をされたこともある。大体の感想は、面白い、か、意味がわからない、だ。やはり、自分の書いたものを面白いと言ってもらえるのは、嬉しいし、意味がわからないと言われるのも、それはそれで面白くていい。ただ、このブログの一番の読者は、間違いなく、俺自身だ。暇さえあれば、自分が過去に書いた記事や下書きを読み返し、時には一人で笑ったりなどしている。だって、面白いんだもの。なんて、そんな風に自己完結してしまっているから、このブログが有名になることはないだろう。

と、まあ、浅い浅い、このブログのルーツを語ってみたが。そんなブログでも、今となっては、俺の人生においては既に欠かせない、大きな存在となっている。俺の私生活の中で起こった真実を含んだ短い物語たちは、さながら俺の子どもたちのようなもので、その集大成であるこのブログは、俺の生きてきた証のようなものだ。と、そんな風に言ってしまうと気持ち悪いと思われるかもしれないが、その気持ち悪さも含めて俺であり、かきかたの本なのだ。

文章を書くことが好きだ。物事を面白おかしく、時には適当に、時には文章間の繋ぎや最後の締めくくりで数十分悩んだりなんてしながら。そんな風に書き上げた物語を読み返すことが好きだ。それらは、自分のたどってきた人生の足跡だ。

俺はこれからも、このブログと共に歩み続けるだろう。自分の人生を面白おかしく脚色して書きながら。いつか進むことに疲れ、足を止めて振り返った時、これまで歩んできた道を思い出せるように。

さて、 2016年ももうあと数時間で終わる。年が変わったところで、俺の日々は変わらない。切り替えるほどの気持ちの変化も特にない。

ただ、一つ思うことは、来年も俺の人生が面白い出来事で溢れ、そして俺自身も、より面白い人間として生きていくことが出来ればいいな、と、それだけである。

今年は、ありがとうございました。

来年も、かきかたの本をよろしくお願い申し上げます。