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かきかたの本

書き方の練習

ニライカナイ 1

 その日、晴天の空から雪が降った。

この冬の最低気温を記録したその日、俺は神戸空港で、掲示板に表示される赤い文字を見上げていた。沖縄行きの便は、本来の予定時刻を過ぎても尚、未定のまま何の動きも無しだ。いっそ、欠航となってくれた方がいいのだが。俺はため息を一つ、ロビーの椅子に座り、広い窓の外に降る粉雪を見つめた。雲一つない晴天から雪の降る様子は、まるで異常気象のようで、少し不気味にも思えた。

君も、琉球へ向かうのかな。

と、話しかけてきたのは、1人の老紳士だった。高級そうなグレーのスーツに身を包んだ白髪頭の、いかにも人の良さそうな、それでいて、まるで世界の全てを見てきたような深く鋭い瞳をした、不思議な雰囲気の人だった。

ええ、まあ。しかし、この調子だと今日は飛ばないかもしれませんね。

いや、飛ぶさ。心配はいらない。

彼は俺の隣に座り、同じように空を見つめて言う。

ただ、少し時間はかかるやもしれん。もしよろしければ、私の話に付き合ってはくれませんかな。

話、ですか。

正直に言うと少し驚いたが、彼も空港のロビーで時間を潰す方法もなく退屈しているのだろう。

ええ、もちろん。どんなお話ですか。

見ず知らずの他人の昔話というのは、聞いていて面白い。俺は彼の方に少し体を向け、そう返した。彼は満足そうに頷き、そして、晴天の空から降る雪を見つめながら、その幻のような物語を話し始めた。

 

かつて、世界にまだ神がいた頃。琉球と呼ばれる国があった。温暖な気候に恵まれ、海と自然に囲まれた豊かな島国。そこには、伝統と歌を愛する陽気な人々が暮らしていた。

当時、とある貿易商の船に便乗し、吟遊詩人として世界を放浪していた私は、ある日、海上で突然神の怒りのような嵐に見舞われ海へと投げ出された。自分が生きているのか死んでいるのかもわからないような状況の中で、数日間、海を漂った末にようやく辿り着いた島。それが、琉球であった。今思うとあの嵐も、私が琉球へ流れ着いたことも、全てが神の望んだ運命だったのかもしれない。なんて、そんな柄にもないようなことを考えてしまうほどに、琉球で過ごした日々は私という人間の心に深く残り続けている。

砂浜で、ゴミのように死にかけていた私を救ってくれたのは、島で唯一の神社に住む、14歳の少女だった。長い髪のせいか、それとも年不相応な落ち着いた表情や話し方のせいか、妙に大人びて見えたことが印象に残っている。それはきっと、彼女の役目や周りの環境が影響しているのであろう。

というのも、島巫女と呼ばれる彼女は、神主と共に島の行事のほとんどを取り仕切り、多くの島民から慕われ、頼られている存在だった。素性のわからない私の命を救い、島での居場所を与えてくれた恩人でもある。いつも優しく笑っていたが、時折、遠くを見つめて寂しそうな表情をする。そんな人だった。

島での生活は、とても楽しく充実したものだった。朝は海で漁をし、昼からは子どもたちと遊び、水平線へ沈む夕日を見つめ、夜は火を囲み歌う。島民たちは私を仲間として、温かく迎え入れてくれた。私はそのお返しとして、子どもたちに勉学を教え、そして、歌を歌った。彼らは、島唄と呼ばれる島に昔から伝わる歌を愛していたが、私の歌う世界の伝承も気に入ってくれた。それまでの旅の人生の中でも、素敵な仲間に囲まれることはあったが、彼らと過ごした時間は最も幸せなものだった。

その中でも、島巫女の少女は私にとって特別な存在だった。彼女には両親がおらず、部屋がいくつもある広い家には彼女の祖父である神主と彼女の2人しか住んでいなかった。そのため、私が来てくれて助かったと、事あるごとに2人は言っていた。島にいた頃の私は、基本的に子どもの教師や遊び相手をしていたのだが、空いた時間は全て神社の掃除やその他の手伝いに使っていた。それが、居候として最低限の誠意だと思っていたからだ。

島巫女の少女は、毎晩、私の部屋に遊びに来ていた。最初こそ、少し気恥ずかしそうにしていたが、数日が経つとすっかり慣れ、風呂から上がるとそのまま、眠る時間まで私の部屋で過ごすようになっていた。いつしか、私と彼女は同じ布団で共に眠るようになっていた。娘と呼ぶには年が近すぎていたし、かと言って、恋人や妹と呼ぶには少し年の差がありすぎる。お互い、人と接する機会こそ多いものの、心のどこかでは孤独を感じていたのだと思う。なんとも不思議な関係ではあったが、彼女と共に過ごす時間は、私にとって楽しいものだった。

彼女とは、本当に色々な話をした。星や神話の話、私が見てきた世界の話、各地に伝わる伝説の話。中でも、北欧の竜の伝説がお気に入りで、彼女はその話を暗記するほど聞きたがった。そしてそれと同じく、執拗なまでに聞きたがったのが、各地の文化として残る“生贄”の風習だった。

その時代、世界にはまだ神々が居り、人々は神に祈りを捧げ、彼らに救いを求めた。神は時に人を救い、時には人を裁き、そして時には人を見捨てた。人々は、神に救われるために多くのことを行った。天まで届く塔を建て、巨大な石像を作り崇め、供物を捧げた。その中で、悪しき風習として存在していたのが、生贄だった。牛や羊、そして人間。各地によって細かな違いこそはあるものの、命を捧げるその文化は神への献身として最も大きな効果があるものとされていた。

私はその文化の犠牲になった者たちを、この目で何度も見てきた。その犠牲者の多くは、子ども。特に生娘が多かったように思う。彼女たちは、人々のため、進んでその命を投げ出した。その親や他の人々も、笑顔でそれを送り出していた。彼女たちのために涙を流すことは、神への冒涜と取られかねなかったからだ。それほどまでに、世界において神の持つ力が大きかった時代でもあった。

そういった事情もあり、私は島巫女の彼女に、その生贄文化の話をすることは殆どなかった。何故か彼女は、執拗にその話を聞きたがったが、同じ年代の少女たちが生贄として命を捧げているという話を、彼女に聞かせたくはなかった。きっと優しい彼女は、見知らぬ誰かのために傷つき、心を痛めることになるだろうから。

私は、彼女が生贄文化の話を聞きたがる度に、君が知る必要はない話だ、と言い、そして納得いかない表情をする彼女を抱き寄せ、その頭を撫でた。そうすることで彼女は、それ以上は何も言わず、静かに眠ってくれたのだ。しかし、物事は、私の思っていた以上に複雑な事情を含んでいた。そのことを知ることとなったのは、私が島に来て3年が経った頃。彼女がちょうど、17になる年のことだった。

私が島の暮らしにすっかり慣れ、島の人々も私のことを昔からの仲間のように扱ってくれるようになっていた頃。私の本が盗まれたことがあった。嵐で全てを失った私が、ただ一つ、失わずに持ち続けたその羊皮紙の分厚い本。それは、私が世界を回って見聞きした物や話を記した物だった。私にとっては、命と同じほど大切な物であり、ずっと肌身離さずに持ち歩いていた、本当に大切な物だった。

眠る前、枕元に置いていたその本が、目が覚めた時には消えていた。部屋中を探しても見つからず、私は半狂乱になり村へ飛び出し、他の人々に聞いて回った。私のあまりの変わりように、島の人々も只事ではないと慌てたらしく、その日の昼に島民全員での集会が開かれるほどだった。

ただ、私は島の人々の中に盗みを行うような人間はいないと、そう信じていた。3年という月日を共に過ごしたのだ。彼らは、世界中のどの民族よりも信頼できる人間だった。集会で疑われたのは、子どもたちだった。私と仲の良い子たちが、悪ふざけでやったのではないか、と。正直、私の中でもその可能性が一番高いと思っていたが、子どもたちは全員否定し、それ以上言及する人々もいなかった。子どもたちに、嘘は絶対につくなと教え込んだのは他でもない私であり、そして彼らはそれを忠実に守ってくれていた。疑う余地はない。

結局、その集会で本の在り処を知る人間が名乗り出ることはなかった。私も、それ以上は騒がず、本のことは諦めることにした。その時の私にとっては、命と同じほど大切な本を失うことより、私に良くしてくれる島民たちを疑うことの方が辛かったのだ。しかし、その夜。私の本は思わぬ所から見つかることとなる。

その夜、島巫女の彼女は私の部屋に来なかった。不思議に思い彼女の部屋へ行くと、彼女は部屋の隅で膝を抱え、震えていた。どうしたのか、と、私が彼女に駆け寄ると、彼女は顔を上げず、震える声で何度も私に謝った。その腕の中には、私の本が抱えられていた。私は震える彼女を抱き寄せ、何も言わず、彼女が落ち着くのを待った。夜が明けるまで彼女は泣き続け、私の腕の中で何度も、ごめんなさい、と言うのだった。

朝日が昇った頃、ようやく落ち着いた彼女は、泣き疲れたのかそのまま眠ってしまった。私は、自分が本を棚にしまっていたことを忘れていただけだったと島民たちに説明し、まず騒動を収め、それから、その夜に、彼女に事情を聞くことにした。

その日、彼女は一度も部屋から出てこず、夜に部屋を訪れると、私の顔を見てまた泣き出してしまった。私は彼女の隣に座り、その頭を撫でる。

私は怒っていない、ただ、何故君がそんなことをしたのか知りたいだけなんだ。

彼女は涙を拭き、震える声で小さく答える。

生贄のこと、どうしても知りたくて。なんとかする方法が、ないかって。

また生贄の話か。どうして君はそんなに、その話を聞きたがる。

私が聞くと、彼女は私にすがりつくように私の腕を掴み、そして涙を流しながら言ったのだ。

助けてください。私、まだ死にたくなんてない。

彼女が何故、執拗なまでに生贄文化の話を聞きたがり、私の本を盗んでまでその情報を知ろうとしたのか、ようやくその理由がわかった。彼女は涙を流し、震えながら、話し始めた。琉球に伝わる神。生贄の島巫女の役割。そして、ニライカナイと呼ばれる、もう一つの琉球の話を。

 

少し、話し疲れました。

老紳士は、大きく息を吐き、そして体を伸ばす。

長い話で申し訳ない。聞くのも疲れたでしょう。

いえ、とても面白いお話です。

お世辞でも社交辞令でもなく、本当に面白い話だ。彼の話し方も相まって、つい聞き入ってしまった。

何か、飲み物を買ってきますよ。よろしければ、続きも聞かせていただきたいのですが。

こんな老人の話でよければ。

嬉しそうに笑う老紳士を残し、俺は早歩きで自動販売機へ向かう。温かいお茶を二本買い、そして今度は駆け足で、先ほどの席へと向かった。

窓の外を降る雪は、まだまだ止みそうにない。ニライカナイの物語は、次の話へと続く。