かきかたの本

書き方の練習

失恋男はジルを撃つ

今日、お前の家でバイオハザードをするぞ。

そんな連絡が来たのは、久しぶりに雨の降った日曜日の朝のことだった。相手は、一つ年上の会社の先輩。詳しくは聞かなかったが、どうやら失恋したらしい。

 前日の土曜日に、彼が女性と2人でイルミネーションを見に行っていたことは知っていた。前の週、モツ鍋を食べながら自慢気に話していたので。らしくないな、と思った。そして同時に、失礼ではあるが、きっと上手くいかないだろう、とも。

彼は、俺が入社してからの約2年、同じ現場で同じ仕事をしていた。その間、同じ現場の仲間たちとは家族よりも長い時間を過ごし、辛い時期も協力して乗り越えた。故に、俺たちの絆は強い。特に俺とその先輩、それから頭の悪い後輩。その3人は仲が良く、休日もよく遊んでいた。

だからこそ、互いにどんな性格かはよく知っていた。先輩は、一言で言うと“演者”だった。社内では飛び抜けて優秀と評価され、どんな仕事もそつなくこなし、若手の中では最も期待されている存在。その本質は、ぶっ飛んだイカれ野郎なのだが、多くの人間はそのことを知らない。

彼と出掛けた時、すれ違う人間にあだ名を付けるゲームをよくするのだが、それが本当に楽しくて、俺たち2人はいつも見ず知らずの人間を貶しながら、ケラケラと笑って歩いていた。色黒の人に“うんこ”とあだ名を付け、腹を抱えて笑っていた俺たちは、間違いなくクソ野郎だった。しかし、そういった道徳を冒涜したような話が出来る相手は、多くはいない。育ちの良くない俺のような男にとっては、そんな風な、山賊のように汚く笑う時間が何よりも楽しかった。

さて、話を戻そう。その先輩が女性とイルミネーションを見に行くと聞いた時、俺は絶対に、上手くいかないと思っていた。演者は演者。台本が無ければ、物語は始まらない。だから彼は台本を用意する。しかし相手は当然、女優でもなければ、同じ台本を持っているわけでもない。物事は、恋愛ドラマのように上手くはいかない。

正直、その日はゆっくりと布団の中でYouTubeでも見ながら、モンスターストライクを一日中やっていたかったのだが、しかし、今回ばかりは彼の憂さ晴らしに付き合うことにした。男の心はそこまで強くない。女が相手となると、途端に弱く、脆くなる。そのことは、俺自身もよく知っていた。

また、話が変わって申し訳ないが、今度は少し俺の話をしよう。あれはちょうど、一年前の2月。俺が最もバカだった頃の話だ。

その頃、たまたま縁あって、40代の女性と、その19歳の娘さんと知り合いになり、たまに遊んだりしていたのだが。母親は年相応の見た目ではあったが、綺麗な女性で、服装や話し方も所謂“オバハン”のそれとは違い、落ち着いた女性であった。そして娘さんは、顔立ちは美人ではないものの、性格は真面目で可愛らしく、それでいて時折、“お姉ちゃん”をしようとしているところが垣間見え、そこもまた愛らしい19歳だった。

詳しくは聞いていないが、どうやら彼女はシングルマザーらしく、もう1人高校生の息子がおり、何かと苦労しているようだった。そんな彼女たちを見て、本当にどうしようもなく頭の悪かった俺は、これまた本当にどうしようもなく頭の悪い計画を企てる。その名も『夢の親子丼計画』。内容は、話すまでもない。しかし、計画は計画。ただのバカな男の妄想。それだけで終わるはずだった。

誘いは意外にも、向こうからだった。母親の方から、映画の誘いがあった。金曜日の夜。2人で、レイトショー。特に断る理由もなく、俺は仕事終わりに彼女を迎えに行き、そして2人でお好み焼きを食べた。その間にも、彼女はどこか落ち着かない様子で「少しだけ緊張してる」や「今夜は息子は実家に預けて来たの」などと、そんなことを言っていた。凍結されていた親子丼計画が、鉄板の上でゆっくりと解凍され始める。

映画の内容は、ほとんど頭に入ってこなかった。時折、俺の方を見つめる彼女の視線に気づかないふりをして、俺はただ、ひたすらポップコーンを食べていた。

映画が終わったのは、深夜の12時前のことだった。車に乗り込み、エンジンをかけ、どうしますか、と聞く。彼女は「好きにしていいよ」と言った。俺は冗談っぽく、じゃあホテルでも行きましょうか、と言う。彼女は俯き、何も言わなかった。

無言の回答。これは、賭けだった。俺は少し考え、そしてその日は帰ることにした。夢の親子丼計画の片翼を落とす最大のチャンスだったが、そこで足踏みをしたのには理由があった。本能が、今ではないと告げていた。

俺はその発言を冗談とし、彼女を家まで送り届けた。しかし、彼女は車から降りない。俺の手を取り、目を見つめ「何でも言ってね。私でよければ力になるから」と、そんなことを言うのだった。

俺は、覚悟を決めた。手持ちのチップを全てベットし、賭けに出る。夢の親子丼計画、勝てる自信があった。彼女の手を握り返し、俺は言う。

そして次の瞬間、彼女から返って来た言葉に俺は言葉を失うこととなる。

「私はそんなに軽い女じゃないから」

絶対に、負けないと思っていた賭けに、負けた。その上、10分ほど懇々と説教を食らい、そして俺は何も得ることなく家路に着くこととなる。意味がわからなかった。彼女の目的は一体、何だったのか。

誰かにこの話を聞いてもらいたい。最初の信号で止まり、俺は親友へ電話をかける。眠そうな声で電話に出た友人に頼み込み、そして彼を助手席に乗せ、当てもなく車を走らせる。俺の話を聞き、友人はきっかり1時間、腹を抱えて大爆笑してくれた。それが、何よりの救いだった。彼とはきっと、一生の付き合いになるだろう。そして、一生、この話で笑いあえるだろう。

 

と、関係のない俺の話が長くなってしまったが。そういうことなのだ。男は女に弱い。世界というものは、そういうものだ。そして女に荒らされた心を救うことが出来るのは、バカなことで笑える男なのだ。

酒を飲みながらゾンビを殺したい気分なんだ。迎えに行った俺の車に乗り込み、先輩はそんなことを言った。

昼の2時に集合し、先輩は酒を飲みながら、俺はミルクティーを飲みながら。2人、ひたすらゾンビを倒し続けた。オープニングからスタートし、エンディングを見る頃には時刻は午後の11時になろうとしていた。

ジル・バレンタインという、美女が敵となり出てくるステージがある。彼女は主人公の元相棒であり、敵ではあるが倒してはいけないという厄介なステージなのだが、先輩はお構いなしにジルを撃ちまくった。ウェスカーを無視し、ジルだけを撃ち続けた。ジルを羽交い締めにし、投げ飛ばし、そしてそのせいで何度もゲームオーバーになった。俺たちは爆笑しながら、ストーリーもお構いなしに、ジルをボコボコにした。

そんなこともあり、クリアまで9時間、ノンストップでゲームをしていた俺たちは、エンディングを見る頃にはすっかり疲れ果てていた。ジルをボコボコにしたことにより気分が晴れたのか、それとも長時間のゲームで頭がおかしくなったのか、先輩は清々しい表情をしていた。その後、俺たちはラーメン屋へ行き、「ウェスカーに」と、水で乾杯するのだった。

女は何を考えているのかわからない。可愛くなくたっていい、ちゃんと自分を好きになってくれる人ならそれでいい。

先輩はずっと、そんなことを言っていた。

9時間のプレイの中で、特に拘っていたわけではないが、俺たちはずっとハンドガン“ベレッタM92F”を使っていた。強さや新しさや格好良さも必要だが、それでもやはり一番は信頼性なのだ。

女だってそうだ。ジルやシェバのような強くて美人の相棒は理想だが、俺たちはクリスにはなれない。それでも、せめて、ただ、ベレッタM92Fのように裏切ることなく常に寄り添い、共に最後まで戦える。そんな女性がそばにいてほしい。

少しだけ贅沢を言えるなら、胸はDカップ以上がいい。お尻も大きい方がいい。あと、少しエロいとなお嬉しい。