かきかたの本

書き方の練習

雪、無音、窓辺にて、豆を

最近、自分がつまらない人間になったと感じることが多い。それはこの、何の変化もない“平和”な世界に適応してしまっているから、なのかもしれない。

仕事を終え、いつものようにコンビニで弁当を買う。ふとレジ横に目をやると、半額ワゴンに積まれた節分で売れ残った豆。その鬼の面と目があった。そこでようやく、2月ももう3分の1が終わってしまったことに気がつく。

節分で豆を撒かなくなったのは、いつからだろうか。そんなことを思いながら、俺は半額シールの貼られた豆を取り、レジへ差し出した。

コンビニを出ると、湿った雪が静かに降り始めていた。この冬は、よく雪が降る。静かな雪の夜は、ろくでなしの祖父がよく話していた先祖の物語を思い出す。かつて、俺の家系は“暗殺”を生業とする一族だった。

古くは戦国時代にまで遡る。北条家に仕えていた我が一族は、忍びとして、北条に仇なす数多の敵武将を暗殺し、戦場でも幾度となく仲間を救った。敵からは恐れを持って、味方からは信頼を込めて“北条子飼いの鬼一族”と呼ばれていた。北条最後の地、小田原城にて、豊臣の軍勢に囲まれ、いよいよその時を待つのみとなった時。北条氏直は愛用の小刀を我が先祖に渡し、言ったそうだ。「忍の生は闇夜の雪の如し。闇に存在し、そして存在しない。誰もがそれを捉え、捕らえられぬ。」

その夜、先祖は闇夜の中、完全な包囲状態の中を敵に一切気付かれず、豊臣本陣を奇襲。姿を見せず数百の兵を討ち、そのまま小田原の地を去った。当時、季節は春だったが、その夜、満月の下に雪が降ったそうだ。

彼が何故、その時に秀吉を討たなかったのか。その理由は定かではないが、祖父曰く、氏直がそれを望まなかったらしい。その頃、秀吉による天下統一により、戦乱の世の終わりは目前であった。秀吉を討つと、また新たな乱世が始まる、と。その後、長きに渡った小田原征伐は氏直の降伏によって終わりを告げる。

我が一族は、暗殺者として世界を生き続けたが、大正時代に一つの節目を迎えることとなる。当時の日本は、各所で政治を巡る騒動が起き、数多の派閥が争い、混迷を極めた時代であった。そんな時代、暗殺者は様々な場所で必要とされる。

当時、曽々々祖父に当たる“千蔵”は、春の夜、満月の下を憲政会の幹部の暗殺のため進んでいた。そこで、ある女性と出会う。名は“蘭”。千蔵が暗殺を命じられていた憲政会幹部の娘だった。満開の桜の下、蘭は千蔵の前に立つ。

「何故、貴方は世を乱すのですか」

「そうではない。世が乱れた時に忍は現れる。我々は世の乱、混沌そのものなのだ」

「ならば、私が貴方を導く光となりその混沌を正します」

千蔵は彼女の真っ直ぐとした正義そのもののような瞳に心を打たれ、刀を置いたそうだ。そしてその夜も、季節外れの雪が降ったらしい。

 

さて、話は現代に戻る。『生は闇夜の雪の如し』。その言葉は今も俺の一族の中で伝えられている。と、言っても、残っているのは俺だけとなってしまったのだが。

祖父は定職に就かずギャンブル三昧の日々。母は、そんな祖父の生活を、父の働いた金で援助していた。そんな祖父も俺が18の時に借金を残して死に、そしてその数ヶ月後に母が死んだ。祖父の残した借金は母の保険金で支払われることとなった。

かつての暗殺者の血、なのかどうかはわからないが、俺は異様なほど夜目が効くし、音を立てずに動くことが出来る。しかし、そんな能力も、光と音で溢れる現代の夜では何の意味も持たない。俺は今、単なる会社員としてクレーム対応の電話を取り続ける日々を送っている。

世界は今、平和だと言っていいだろう。くだらない争いは、いつだってどこでも起きている。しかし、戦国乱世や大正の混沌に比べると、今の時代は本当に平和だ。北条氏直が望んだ太平。蘭が望み、千蔵が信じた正された世。今の世界は、これでよかったのだろうか。彼らの望んだのは、こんな世界だったのだろうか。

豆を食べながら、窓の外を降り続ける雪を眺め、そんなことを思う。ふと思い立ち、豆に付いていた鬼の面を被ってみる。鏡を見ると、そこには満面の笑みを浮かべるポップな鬼の面を被った、俺の姿がある。かつて“鬼”と呼ばれ、恐れ敬われた忍の一族の末裔の姿が、そこにあった。

窓を開け、タバコに火をつける。冷たい風と雪が室内に入り込んだ。俺は豆をつかみ取り、それを窓の外へ思いっきり放り投げた。

鬼は、もういない。

ここにいるのは、その成れの果てが一人だけだ。