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かきかたの本

書き方の練習

追伸、木星はもうすぐ春になります

木星の彼女から、一年ぶりにメールが届いた。

地球と木星の時差がどれくらいあるかなんてのは、よくわからない。ただ、ずっと遠くの星に、ずっと昔、今ここに存在する人々のためにこの地球から飛び立った人々が住んでいるのだと、そんな話をぼんやりと聞いたことがあるだけだ。

『Re:素敵な人、地球に春はありますか』

彼女から初めて届いたメールは、そんなタイトルだった。

街外れに、古い電波塔がある。ずっと昔、“空に届く木”と呼ばれていたその電波塔は、今となっては錆びだらけのガラクタでしかない。俺はそのてっぺんでラジオを聴きながら、このくたびれたシャツのような世界を見下ろすことが好きだった。

その木偶の坊は、時折、不思議な電波を拾う。それは、どこかで聞いたような懐かしい歌だったり、犬の鳴き声だったり、電車の走る音だったり、誰かのすすり泣く声だったり。いつも聞いている、それでいて、まるでどこか遠くの別の世界の出来事のような。そんな不思議な音だった。

ある日、俺は空へ向けてメッセージを飛ばした。宛先は無い。風船に手紙を付けて飛ばすような、そんな感覚だった。

『地球より、何処かへ。あなたの世界には、どんな音がありますか』

件名に、ただ、それだけを書き、その塔のてっぺんから空へ向けてメールを飛ばす。ボロボロの塔は、ただのとんがった鉄でしかなかったが、しかし、それだけで十分に役目を果たしてくれた。その時は、まさかこのメールが誰かに届くなんて。そしてまさか、返信が来るなんて。思ってもいなかった。

 

Re:素敵な人、地球に春はありますか

初めまして、地球の素敵なあなたへ

私の周りには、色々な音があります。風の音、雨の音、電車の走る音、飛行機の飛ぶ音、小惑星が外壁に当たって砕ける音、渡り鳥たちの声、バニラ(うちで飼ってる犬です)の鳴き声。同級生のみっちゃんの笑い声。シン君の吹くトランペットの音。外壁を流れる水の音。それから、私が好きな、春の音。

木星には、春があります。夏も秋も、冬もあります。冬は、私はあんまり好きではないですけどね。

私の遠い祖先は、ずっと昔は地球に住んでいたと聞きました。人類が増えすぎて、地球がいっぱいになってしまったから、選ばれた半分くらいの人々がこの木星へと移住したのだ、と。

地球は、本当に綺麗で美しい星だったと、伝えられています。先祖たちは、その美しい星を守れたことを誇りに思っていたらしいです。

地球に春はありますか?

今、地球は、美しい星ですか?

お返事、待ってます。

 

メールを飛ばしてから、ちょうど一年後のことだった。機械的な文字の羅列でしかないが、まるで、手紙に書いたような暖かさのある文章。俺はその、7億5000万km先から届いた手紙を保存し、何度も何度も読み返した。そして、彼女への返信を書く。

 

地球は、ちょうど春です

木星の、あなたへ

素敵な返信を、ありがとう

地球にも春はありますよ。今がちょうど、その時期です。満開の桜の木の下で、このメールを書いています。

地球は、美しい星です。空は青く澄み、どこまでも無限に広がる海と、広大な大地に広がる緑の森、山々。風や空気までもが、まるで生きているような。そんな、生命の輝きに溢れているのです。

夜、星空を見上げながら、遠く離れた星々へと想いを馳せます。

木星は、その大きさから、地球へと向かう小惑星の殆どを受け止めてくれていると、聞いたことがあります。しかし、そのことを知っている人間は、地球にも多くはいません。

はるか昔、増えすぎた人類を守るため、遠く離れた星へと旅立った人々がいます。そのことを知っている人も、今となっては少ないです。

だけど、僕は知っています。だから、木星のあなたに伝えたいのです。

ありがとう。

あなたのおかげで地球は、美しく素晴らしい星です。

 

俺は、彼女に嘘の返信をした。度重なる戦争により犯された地球の空は、常に灰色に濁り、海は黒く腐り、森は枯れ、四季さえもなくなった。ただ、時折、この世の終わりのような重い雲から黒い雨が降り、そして雷鳴の向こうに爆発が見えるだけだ。

しかし、遠く離れた木星の彼女には、そんな現実を知って欲しくなかった。彼女の祖先が、命をかけて守ったこの星が、今はこんな荒れ果てた星になってしまっているなんて。そんなこと、俺には言えなかった。

それから、俺と彼女は一年に一通のメールのやり取りを続けた。どういう仕組みかはわからないが、7億5000万kmの距離を、メールは片道6ヶ月で届くらしい。彼女は自分のことをよく話し、そして同時に、地球の様子を聞きたがった。その度に、俺は嘘をついた。ずっと昔に見た風景や、聞いた景色をつなぎ合わせ、地球を素晴らしく美しい星であり続けさせた。

ただの自己満足かもしれない。しかし、それでもいい。彼女にだけは、美しい地球を見せてあげたかった。どうせ、出会うことなど、叶わないのだから。

 

『もうすぐ、そちらへ行きます』

 

そのメールが届いたのは、空の果てに幾つもの爆発が見えた日のことだった。そんなタイトルから、メールは書き始められていた。

 

もうすぐ、そちらへ行きます

地球の素敵なあなたへ

遠く離れた文通(メールよりも、こっちの言い方の方が素敵でしょう?)も、もう10年になりますね。

あなたからの最初の返信の内容を、覚えていますか。私たちのおかげで、地球は美しい星であることができる、と。そんな風に、書いてくれましたね。本当に、嬉しかった。

木星では、今、革命が起こっています。地球を取り戻すため、多くの軍隊が組織され、地球へと向かっています。私も、明日、地球へと向かう船に乗り込み、そちらへと向かいます。到着は半年後の予定です。このメールが届くのと同じ頃ですね。ふふふ。

私は、造られたアンドロイドだと、最近知らされました。木星に、生きている人類はもうほとんどいません。私たちアンドロイドは、残された数名の人類のために、仮想の現実を作るための存在。心も全て、プログラムされただけのものだ、と。

革命軍に入った時、今の地球の写真を見せられました。ショックでした。あなたから聞いていた姿とは、まったく違っていたから。

でも、私は怒ってはいません。その嘘は、あなたの優しさだって、わかったから。

一年に一度、あなたから届くこの手紙だけが、私にとって唯一の生き甲斐でした。アンドロイドの私が、その瞬間だけ“心”を感じることが出来ました。

地球の素敵なあなたへ

素敵な嘘を、ありがとう。

私に、心を感じさせてくれて、ありがとう。

嘘をついていて、ごめんなさい。

地球に着いたら、あなたを探します。もし、こんな私の話を、まだ聞いてくれるなら。もう一度、今度は一年なんて待たずに、素敵な話をしたいです。

追伸、木星はもうすぐ春になります。本物の満開の桜を、あなたと見たかったな。

 

衝撃は、受けなかった。俺の錆びついた心は、その内容を単なる情報として受け取ることしかできなかった。彼女とのメールのやり取りができなくなるかもしれないという事実だけが、ただ悲しかった。そして同時に、彼女と出会うことが出来るかもしれない、その可能性に、胸が踊る。

錆びついた心が、少しずつ暖かくなっていくのを感じる。

このメールを彼女が書いたのが半年前とすれば、彼女はもう地球に到着しているかもしれない。急いで俺のことを知らせなければ。俺は慌てて彼女へ返信を打つ。

 

叶うことなら、会って話をしたいです

木星の素敵なアンドロイドのあなたへ

真実を、話してくれてありがとう。

そして、嘘をつき続けていてすみません。

ただ、あなたには、地球は美しい星だと思って欲しかった。たとえそれが嘘であっても、僕の単なるエゴであっても。

ニホンという島国の、トーキョーという都市に、私はいます。わかりやすいので、すぐに見つけられると思います。トーキョーで、一番大きな錆びついた電波塔、それが僕です。

もし、僕のことを人間だと思っていたのだったら、それは本当に、ごめんなさい。ただ、僕が人ではなく、アンドロイドでもなく、単なる電波塔でしかないと知って、あなたが去ってしまうことが怖かったのです。

でも、もう、嘘はつきません。

あなたのことを愛しています。

叶うなら、あなたと会いたい。会って、今度は嘘や夢物語ではなく、本当の話をしたい。

私はずっと、この場所で、あなたを待ち続けています。

 

遠くの空に、爆発が見える。あれが恐らく、木星からの軍隊なのだろう。地球は、どうなってしまうのだろうか。いや、どうだっていい。役目を終えた電波塔には……

 

『あなたが電波塔でよかった』

 

その返信は、一年も経たず、いや、一時間も経たないうちに、俺の元へと届いた。

 

あなたが電波塔でよかった

おかげで、私たちは7億5000万kmの距離でも、素敵な文通をすることができたから。

おかげで、すぐにあなたのことを見つけることが出来たから。

 

短い文章だった。

しかし、俺には、俺たちには、それだけで十分だった。

相変わらずの薄暗い空に、薄桃色の花びらが舞った。

 

木星の桜です、あなたに見せたくて、持ってきてしまいました。

 

彼女の“声”が聞こえた。

 

その日、四季を失った地球に、数世紀ぶりの桜が舞った。