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かきかたの本

書き方の練習

悟りの書 2017.03.18

祖父の古い知り合いに、世界を旅しながらおかしな物を買い集める古物商がいる。

彼は様々な美術品を仕入れては世界の金持ちに売り歩き生計を立てているのだが、その仕事の中で、個人の日記や写真を好んで収集する癖がある男だった。曰く、リアルな人間の生き様こそ、最高の美術品である、とのこと。そして彼自身、その言葉を裏付けるかのように、奇妙で数奇な人生を送っていた。

そんな彼から連絡があったのは、連休最終日の夕方のことだった。

面白い物を手に入れた、お前に必要な物だ。

連絡を受けたその1時間後、彼は俺の家で缶コーヒーを飲みながら、そんな事を言った。約三年ぶりの再会であったが、相変わらずの様子に俺は少し安心する。

彼は俺が子どもの頃から、全く変わらない。初めて出会った時から、何一つ。白髪頭と皺だらけの顔も、年の割にがっしりとした身体つきも、つかみどころのない飄々とした立ち居振る舞いも、世界の全てを知っているかのような瞳も。

悟りの書。協会で、珍しく極秘扱いされていた品なんだがな、その実は単なる個人の日記だ。しかし、内容は非常に興味深い。お前なら理解出来るだろう。なぜ俺が、今、お前にこの日記を渡したのかも、な。

言って、彼が俺に渡したのは、ボロボロの日記帳だった。埃臭い皮の表紙には、恐らくタイトルと持ち主の名が書かれていたのだろうが、それは擦れて見えなくなっている。バラバラとページを捲り、すぐにその内容の不自然さに気づく。

奇妙な言い回しの英語、癖や訛りではなく、日本で言うところの古文のような言い回しだと思う。それも、見たことのない文法だ。独特の言い回しや、よくわからない単語が使われているが、適当に書かれているわけではなく、法則性は見える。読みにくかったが、内容は辛うじて読み取れる程度であった。それよりも気になったのが、その日記の日付である。

これ、いつの日記です?

彼はいつものように含みを持った笑みを浮かべ、そして缶コーヒーを飲み干し、立ち上がった。

書かれている通りさ、2017年の1月から5月までの日記だよ。

明らかにそれ以前に書かれた物じゃないですか、少なくとも一世紀以上は前だ。

さすがだな。やっぱりお前は筋がいい。だからこそ、お前にこの日記を渡したいと思ったんだ。

彼は楽しそうに笑い、玄関へ向かう。

一つ、教えてやる。その日記は1800年台後期のイギリスで書かれた物だ。持ち主は不明だが、保管状況から、協会の要人であったと思われる。偉いさんが悪ふざけで書いたのか、預言者の書いた預言書か、それともタイムトラベラーの日記か。いずれにせよ、真実がわかる時は近い。

その言葉と古びた日記だけを残し、彼は俺の前から去って行った。言及はしない。彼に対してその行為は無意味だという事を俺は知っている。彼は世界の全てを知っているが、俺が知り得ることは、彼が自分から話したことだけだ。

さて、この日記を一通り読んでみたが、これがどういった物なのかすぐに理解出来た。いや、全てを理解したわけではない。それどころか、ほんの一部さえも理解出来ていないかもしれない。しかし、俺は確信を持って言える。

ここに記されている内容は、真実だ。

この時代の日本で、その出来事を見ていた人間は、一世紀以上前のイギリスに存在していた。預言などではなく、ただ、彼の体験した真実が書かれている日記だ。

真実がわかる時は近い。

古物商の彼の言ったように、この日記は5月13日で途絶えている。その内容は、未だ読み取れない。時間をかけて読み取る必要がある。この日記の持ち主に、一体何があったのか。この国に、一体何が起こるのか。

その出来事を示唆する内容は、3月辺りから書かれている。その一部を、俺なりに訳した物をここに記そう。どれだけの人間の目に留まるかわからないが。この日記を託された以上、俺には記し伝える義務がある。この真実を、一人でも多くの人々へ。

 

2017.3.18

彼女たちが家へやってきた。アジア人は無知な礼儀知らずが多いが、彼女たち姉妹は例外だ。自身の立ち位置をしっかりと理解し、その上で出来る限りの協力の姿勢を見せてくれる。私のような、ただの一つのピースに対しても。計画を話した時も、彼女たちは何も言わず、ただ静かに頷くだけであった。自分たちの背負う業を知り、避けられない運命を知り、それでも怒ることも泣くこともせず。

この国を訪れて暫くが経つ。人々と生活を共にし、彼らの実情をこの目で実際に見て、ようやくこの計画の意味を理解した。個人が意見を主張し、くだらないことで争いが起き、人々は常に不満を口にし、変化や革命を望みながら、それでも行動を起こそうとする者はいない。仮初めの平和、緩やかな澱みの中で、この国は静かに腐り落ちようとしている。

沈みかけの船の上で、唯一の救いの道を知る者は、今、目の前にいる2人の少女だけだ。彼女たちは私の話を聞いている間、テーブルの下でずっと手を握りあっていた。ホテルのロビーを抜けてすぐに、泣き崩れていた。私の前では気丈に振る舞っていたが、一国の終焉を背負うには彼女たちの背はあまりにも小さすぎる。

時は近い。私に出来ることは、彼女たちの運命と、この国の最後を見届けることだけだ。