かきかたの本

書き方の練習

聖水と黄金のお話

世の中には、おしっこやうんこのことを“聖水”や“黄金”などと呼び、ありがたがる人々がいるそうだ。

そんなしかめ面をしないでください。そういうところですよ。そういった、自分の相容れない物は認めないという排他的な思考が想像力を萎縮させ、あなたをつまらない人間にしていくのですよ。

さて、 世の中には、おしっこやうんこのことを“聖水”や“黄金”などと名をつけ、ありがたがる人々がいるそうです。所謂、スカトロ趣味というもの。世間的には、糞尿=汚いもの、として扱われていることもあり、忌み嫌われている性的嗜好でもありますね。まぁ、世間的に忌まれず好かれている性的嗜好なんてのも無いわけですが。

私個人の感情としては「その気持ち、わからないこともない」です。

というのも、どうでしょう。たかが糞尿、されど糞尿。やはりそれは、“誰のもの”かに大きく左右されるところではあると思うのです。おっさんの小便やうんこには誰も興味を示しません。それどころか、非常に大きな嫌悪感を感じます。しかし、主語が変わればそれは聖水にも黄金にもなり得ると思うのです。

例えば、枕詞に“女子高生の”とつけてみましょう。

女子高生のオシッコ。

果たしてこれはもう、聖水と呼んでいいのではないでしょうか。

女子高生と言っても、色々な子がいるので、イメージをしやすいように仮で“ユリちゃん”としましょうか。ユリちゃんのオシッコでいきましょう。

ユリちゃんは、勉強が苦手な高校2年生の女の子。部活は中学からバドミントン部で、実力は地区予選準優勝ほど。動物関係の仕事に就きたいので専門学校に行きたいけど、親の反対で進路は迷い中。すごく素直で面倒見も良く、友達も多いけれど、恥ずかしがり屋で人見知りの一面もあり、好きな人が出来ても積極的になれず、未だに彼氏が出来たことがない。

勉強、部活、進路、友達、そして恋。さまざまな悩みを持って生きるユリちゃんは、正に現代の聖女。そんな彼女の神聖なる天岩戸から湧き出す黄金色の水。それを聖水と呼ばずに何と呼ぶのでしょうか。

私情が入り、非常に偏った考えとなってしまいましたが、そうでなくとも特筆すべき点はあるのです。それはその入手難度の高さ。つまり、レア度です。

考えてみてください、本物の聖水でさえ、神の祝福を受けた泉や教会なんかに行けば手に入るのです。ドラクエの“せいすい”なんて道端や樽の中に落ちてますし、その価値は20ゴールド、布の服と同じですよ。しかし、ユリちゃんのオシッコは高校や実家に侵入しても、手に入りません。ストーリーを進めて行くと必ず入手できるロトの剣よりも入手は困難であると言えます。泉のようにプールされているわけもなく、汚物としてすぐに流されてしまうのです。流されたオシッコは川へと流れ込み、浄水場でろ過され、我々の普段使う水道水となるのです。

つまり、我々はいつもユリちゃんのオシッコで歯を磨き、食器を洗い、汗を洗い流しているのです。

なんて、そんな“この空が続いている限り、僕と君は繋がっている論”を言っても仕方ありません。我々が求めているのは、混ざりっけのない純度100パーセントのユリちゃんのオシッコなのです、そうでしょう。

ユリちゃんは恥ずかしがり屋で人見知り。いきなりオシッコをくれなんて言おうものなら、彼女を傷つけてしまいかねません。ましてや、監禁などをして無理矢理ユリちゃんのオシッコを入手したとしても、それには何の価値もありません。ユリちゃんが悲しむくらいなら、そんなもの、いらない。

さて、話が逸れて大切なことが伝わらなくなってしまってはいけません。こんなブログでも、伝えたいことはあるのです。ここまで読んでくださった方を、手ぶらで帰すわけにはいきませんからね。

つまり、オシッコの価値は“誰のもの”かによって大きく変わります。人によっては、それはドブ水以下のまさに汚物となります。しかし、それが女子高生や、あなたが想いを寄せるあの子のものだとしたら、どうでしょうか。それはあなたにとって、聖水以上の価値のあるものではないでしょうか?

黄金だって同じです。うんことなると、オシッコよりもハードルは高くなりますが、しかし、高いハードルも飛び方は同じです。助走をつけて、ただ飛べばいい。その助走を長くしてやればいいだけです。

女子高生のうんこ。

さすがに女子高生でも、うんこはなぁ…というあなた。

新垣結衣のうんこ。

これでどうですか?それでもピンとこないあなたは、枕詞に自分の想い人の名を入れてみてください。きっとそれは、数百万円の金塊よりもずっと価値あるものに思えてくるはずです。

胸の中にあるもの、いつか見えなくなるもの、それは側にいること、いつも思い出して。

この歌詞も、これ、うんこのことですからね。いつも思い出して。

さて、ここまで長々と書いてきて今さらですが、私自身、別にそのような性的嗜好があるわけではないのです。ただ、大切なのは“愛”なのです。愛する人のものであれば、オシッコは邪を祓い万病をも治療してくれる聖水となり、うんこはお金に変えられない価値のある宝石となり得るのです。

そして、同時に伝えたいこと。それは、あなたがそのような嗜好を持っていなかったとしても、相手はそうかもしれない。ということなのです。大切な相手が、そのような性的嗜好を持っていたなら、あなたはどうしますか。私は、この記事をここまで読んでくださったあなたには、それを受け入れられる人であってほしい。優しく抱きしめてあげられる人であってほしい。そう思っています。

コンコン

ん?

ガチャ

「起きてたんだね…こんな時間に、なに書いてるの?」

あ、ユリちゃん?ごめん起こしちゃった?

「ううん、その…ちょっとトイレに行きたくなっちゃって…」

あぁ、そういうことか……

「ごめんね、いつも……」

謝らなくていいよ、すぐ行くから先に準備してて。

「うん、ありがとね…大好きだよ…」

 

さて、世の中には、おしっこやうんこのことを“聖水”や“黄金”などと呼び、ありがたがる人々がいるそうだ。

色々な人間がいるのだから、そんな奴らがいたって悪くはないだろう。

人の数だけ、愛の形があるのだ。

人の数だけ、幸せの形があるのだ。

そう、全く同じ色形の“黄金”が存在しないように。