かきかたの本

書き方の練習

平成生まれ

「俺はこのまま、平成に残るつもりだよ」

真夏のように蒸し暑く、夕陽と月が同時に輝く空は不気味な程に蒼紅で、まるで世界がこのまま終わってしまうような、そんな夕暮れのことだった。

 

天皇陛下生前退位が決定してからそう日も経たないというのに、あれよあれよと言う間に数日後に世界は新元号だ。ニュースもバラエティも世間話も、人々はみな“令和進出か平成残留か”についての話題で持ち切りとなっていた。

元号の変更に伴い、今を生きる人々には新元号“令和の世”へ進むか、現在の“平成の世”に留まるか、選択する権利が与えられることとなる。

『令和へ進むか平成に残るか』人々はこの短い期間の間に今後の人生を決定しなければならない。

昭和と平成がそうであったように、平成と令和、2つの世界は今後決して交わることはない。2つの世界は元号という時の壁で隔てられ、平行世界として違う時間を歩むこととなる。次の時代へ進む者たちの中で旧元号は過去の歴史上にのみ存在するものとなり、現時代へ残った者たちにとって新元号は決して訪れることのない未来となる。2つの世界が進む時間軸は、緩やかに、そして確実に遠く離れて行き、それは永遠に交わることがない。

元号への進出か否かを人々が自分の意志で選択できるようになったのは、慶応から明治への改元の際からだという。改元に伴う世界線の分岐の仕組みがある程度明らかとなり、そのタイミングで“人々を過去に残す”手法が確立されたのだ。それ以前の時代でも大罪者や公家に仇為すとされる者は過去の元号に残されていたとされる文献もあるが、どれも確実性に乏しく伝承の域を出ていない。いずれにせよ、その仕組みや手法は現在でも皇族の極々一部の人間にしか知らされておらず、太古の昔から何らかの見えない力が働いていたということは想像に易い。

昭和が平成に変わる時、日本の人口の9割以上が平成進出の道を選んだと言う。その背景には時代の流れがあったことは言うまでもない。敗戦から苦難の時を乗り越え、ようやく新たな希望を掴もうとしていた時代。人々は皆、慎ましさの中に未来に希望を持ち、日本という国は溢れんばかりの活気に満ち溢れていた。そんな中を生きる人々にとって“平成”はまさに希望の新時代だったのだ。

結果、わずか30年の間にも世界は目まぐるしく変化し、人類は無数の新たな英知と文明を手にすることとなる。かつて昭和を生きた人々が夢見た“希望の未来”は、今まさに我々の手の中にある。

各地で起こり続けるテロや紛争、自然災害。世界は決して平和とは言えないが、そんな中でも多くの人々はそんな他人の不幸とは無縁の幸運な平和を謳歌している。あぁ、幸せだな。なんて良い時代なんだ、と。

そうしてその平穏は人々の心に退屈と怠惰を生み出す。そのことが当たり前となった時、人々は“平和”という言葉すら忘れるだろう。戦争を知らず、苦労を知らず、先駆者たちが泥を啜りながら作り上げた未来に胡座をかき努力を笑う若者たちが見当違いの自由を叫ぶ時代。かつての活気ある時代を知る人々は口を揃えて言う。「あの頃は良かった」と。

最新の調査では、令和進出組と平成残留組の数はほぼ同数であるとの結果が出ている。驚くべきことに、日本の人口の半数が新たな未来へ進む道を捨て平成へ残る道を選んだというのだ。残留理由の一位を占める項目は「未来に希望が持てない」だったそうだ。

 

平成生まれ。

平成元年から平成31年までの約30年と少しの間に生まれた、今の0歳から30歳までの世代。俺たち。

その日は昼から新築現場への施工業務が入っており、俺と加藤さんが担当として現場に当たっていた。今の仕事を始めて7年、社歴も年齢も5つ上の加藤さんとは入社以来の付き合いとなる。

「この家、令和までに内装工事まで済ませて欲しいんだとよ」

車止めに腰掛け、缶コーヒーを飲みながら加藤さんは言う。

「入居予定の家族は今流行りの平成残留組らしい」

ちょうど、カクテルのバカディアーノと同じような透き通った橙色の空の下、どこからかドヴォルザークが流れていた。

「お前はどうするんだ?平成か令和か」

「そりゃあ、令和に行くに決まってますよ。平成残留なんて、それこそ未来を捨ててるようなものですから」

「そうか…まぁ、お前はそうだよな」

加藤さんはそう言って、どこか寂しそうに笑う。

「加藤さんはどうするんですか?」

「俺はこのまま平成に残るつもりだよ」

どこか遠くを見つめながら加藤さんは、だからお前とももうすぐお別れだな、と続ける。意外な答えだった。

「俺はさ、平成元年生まれなのよ、根っからの平成っ子でさ」

言葉を探して何も言えない俺を見かねてか、加藤さんは静かに話し出す。

「嫁も平成生まれ、息子も娘も、ま、それは当たり前か。だからと言って平成に誇りや拘りみたいなものがあるわけでもないんだけどさ」

そこで言葉を一度区切り、大きく腕を伸ばす。

「嫁がさ、平成に残ろうって言うわけさ。今が平和で幸せならそれでいいじゃないの。これから先は何が起きるかわからない、戦争だってあるかもしれないから、ってさ」

「それで…加藤さんは、それでいいんですか」

「いいか悪いかなんてわかんねぇよ。でも、ただ俺もそうしたいって思っちまったんだ。たしかに未来は見てみたいぜ?空飛ぶ車やレーザービーム、宇宙人とだって友達になれるかもしれない。でも、進むってことは変わるってことだ。そして変わるってことは、良くも悪くも今には戻れないってことだ。その変化の先の結果が最高でも最悪でも、後戻りは出来ない。どう頑張ったってな。未来を捨てるって言ったよな、たしかにその通りだよ。でも未来を選ぶってことは今を捨てるってことなんだ。どっちにしたって俺たちは何かを捨てなきゃならない。だったら俺は、見えない未来より幸福な今を選びたい」

加藤さんの言葉は恐らく平成へ残る多くの人々が同じように心に抱いている思いで、幸福な人々にとってはそれがやはり最善なのだろうと思う。

「だったら、今が幸せなら歩みを止めてもいいってことなんですかね」

「どうだろうな。進み続けることで、今より幸せな未来を掴めることもあるだろうよ。それは無限でやめ時のない賭けみたいなもんだ。だから俺は降りる。この人生の勝負、たった一度の降り時が今なんだよ」

人は前に進まなければならない。災害や戦争が文明を発展させ、人類は悲劇を乗り越えるために知恵を磨き進化を続けてきた。ただ、幸せな世界の為に。自分が幸福だからという理由でその列を抜けるというのは、あまりに卑怯で、これまで生きてきた人々の流した血と汗と涙の歴史を侮辱している。

「ずるいっすよ、そんなの」

多くの言葉を飲み込みそう呟いた俺を見て加藤さんは小さく笑い、缶コーヒーを一気に飲み干し立ち上がる。

「さぁ、帰るぞ」

日は沈み、辺りはすっかり夕闇に包まれていた。俺たちを乗せたボロボロのバンは、JUDY AND MARYを流しながら田舎道を走る。

「やっぱ平成と言えばジュディマリだよな」

タバコを吸いながら片手でハンドルを握り、『くじら12号』の歌詞を口ずさむ加藤さん。窓を開けると、アメリカンスピリッツの煙と春の夜風の混じり合った懐かしい匂いがした。

 

平成生まれの俺たちは、これからどこへ帰ればいいのだろうか。かつて隆盛の時代を生きていた人々が口を揃えて帰りたいという“あの頃”を俺たちは知らない。

平成生まれの俺たちは、これからどこへ進めばいいのだろうか。かつて隆盛の時代を生きていた人々が夢見て憧れたショーケースの中の輝く未来は今、俺たちの手の中で平和に汚れて霞んでいる。

人類の行き着く先は一体どこなのだろうか。平和こそが目指す未来なのだとすれば、今、まさにかつてない平和の時代を謳歌している“平成”の世を終わらせてまで先に進む必要があるのだろうか。

平和の中にある淀みは歴史の流れに滞留を生み出す。そしてその滞留は今の日本の人口の半数にまで蔓延している。見えない力は、その意志は、その滞留を過去の歴史として取り除く為に道を違えようとしているのだろう。

数日後、世界は変わる。今が古き時代となり、俺たち平成生まれは目指す未来も曖昧なまま見えない道へ歩みを進める。

その先で俺たちは何を見るのだろうか。

その時俺たちはやはり「あの頃は良かった」と、平和の時代を思い口ずさむのだろうか。