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かきかたの本

書き方の練習

暇潰しの土曜日

土曜日の過ごし方を忘れてしまった。

ここ数ヶ月、仕事や仕事以外の会社の用事や仕事以外の会社の用事以外の用事が忙しく、土曜日も大体は一日中何かをしていたからだ。普段なら、一週間が七日であるのに対し休日が二日しかないのはバランス的にあまりに頭が悪いと主張している俺ではあるが、しかし俺にしては珍しく公私ともに充実した日々を過ごしていたので週の休みが一日でも全く問題はなかった。ちなみに日曜日はあまり記憶がないのでたぶん、眠っていたのだろう。

そんな忙しい日々も、先週土曜の出張を境に終わりを告げ、俺には当然の権利のように週休二日の恩恵が舞い降りる。久しぶりに顔を合わせた全く新品の土曜日は、たった数ヶ月振りの再会ではあるが、それ故に彼女はどこか緊張しているようにも見えた。

さあ、何をしようか?ベッドの上に互いに向かい合って座り、俺と土曜日は考える。仕事をしている間は忙しなく動いているので考える暇は無いが、一日というのは案外長いものである。朝の9時に起床して、夜の24時に眠るとすれば、15時間もの間が自由時間となる。何も考えていなかった俺は、突然目の前に現れた15時間という時間を見て途方に暮れる。と同時に、何かしなければと考える。せっかくの休日なのに、何もせずに時間を過ごすなんて勿体ない。何か有意義な暇潰しをしなければ、と。

顔を洗って歯を磨き、髭を剃り、チョコレートを食べ軽く水を飲み服を着替える。そして、テーブルの上に置きっぱなしにしていた車のキーに手を伸ばした所で、ふと考える。本当に暇を潰す必要があるのか、と。

顔を上げると、どこか寂しげな顔で俺を見ている土曜日と目があった。俺は我に返り、車のキーをテーブルに置き、そしてソファに座る。時刻は10時。いつもなら、明るすぎる無機質な蛍光灯の下で、パジャマのような制服に身を包み、書類を整理しながら電話対応をしている時間だ。風の音と鳥の声、遠くを走る車の音、それから、どこかの親子の話し声。7月に入ると同時に、律儀にも太陽は夏の日差しを俺たちに注ぐ。俺の知らなかった空白の時間が、そこにはあった。

気づくと、土曜日は俺の隣に寄り添うように座っていた。それは、俺たちがこれまでに潰してきた、そして俺がつい今の瞬間まで何とかして潰さなければと思っていた“暇”の姿だった。俺がそのことに気づくと、彼女は優しく微笑み、そして、貴方は少し働きすぎよ、と言った。

暇、とはなんだろうか。多くの人間はその空白の時間を無駄な時間と考え、なんとか理由をつけて別の行動で埋めようとする。それが俗に言う“暇潰し”である。しかし、忙しければ忙しいで彼らは口を揃えてこう言うのだ。時間が足りない、と。そうして世の中の暇という名の空白の時間たちは、人々に求められながらも忌み嫌われる、矛盾した存在となっていく。

だったら、俺は何をすればいい?子どものような俺の問いかけに対し、彼女は再び優しい笑みを浮かべ、何もしなくていいの、と言った。その言葉は、俺がずっと求めていた救いのような気がする。忙しい日々、充実の裏で失われていった大切な何か。それを取り戻すために俺は“何かをしなければ”と、そう思っていたが、そのこと自体が間違いだったのだ。何もしなくていい。その答えを、彼女は教えてくれた。

そうして、俺は飽きるまで空を見たり、部屋の小物を整理したり、太陽の光と扇風機の風を浴びながらうたた寝をしたり、明るいうちから風呂に入ったりと、本当にゆっくりと、暇を味わうように時間を過ごした。それはまるで、時間という水が溢れるほどに張られた湯船の中にどっぷりと浸かるような、そんな贅沢な時間だった。

長かった15時間が終わる。蒸し暑い一日だったが、夜になると風が少し出てきたので心地が良い。俺の心の中は、忙しさの中で得られる充足感とは別の、この夏の夜風のような穏やかな気持ちで満たされていた。

たまにはこんな風に時間を過ごすのも悪くないでしょう?夜風に長い髪をなびかせ、月を見上げたまま彼女が言う。また、会えるかな?俺が聞くと、彼女は振り返り、そしてまた優しく微笑んだ。もちろん、貴方が望むならいつだって。

ふと、小学生の頃にあった夏休みの宿題を思い出した。空白の予定表が配られ、毎日あったことを書き込んでいくというあれだ。予定が何も無く、埋められない日があるとそこだけ空白になってしまう。それが嫌で、子どもながらに必死に何かをして空白を埋めようとしていた記憶がある。あの頃から、俺は空白を埋めることに躍起になって、大切なことを忘れてしまっていた。

人々は、幸福や充実感を求めて日々を忙しく過ごしていく。しかし、本当に大切なものは案外、皆が必死に埋めようとしている空白の時間の中にこそあるのかもしれない。 明日は日曜日、予定は何も無い。それは、俺に大切なことを思い出させてくれた彼女からの粋な贈り物のように思えた。

さあ、何をしようか。