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かきかたの本

書き方の練習

もやもや

イライラする。

ここ数日、ずっとだ。何か心の中にもやもやとしたものがあり、そいつがずっと、俺を苛立たせる。そいつが一体何者なのか、どこから来て何のために俺の中に居るのか、その理由がわからず、そのことが余計に俺を苛立たせていた。

俺は、苛立ちや悩みや悲しみや、そういったできるだけ考えたくない感情をずっと昔に切り離して生きてきた。生きてきた、はずだった。だからいつだってへらへらと笑っていたし、落ち込むことも涙を流すこともなかったのだ。それなのに、この心の中に現れたもやもやは、一体なんなんだ。

ずっと、苛立ちを感じずに生きてきた俺は、その解消の仕方を知らない。

聞いた話によると、好きなことをすればストレス解消になるらしい。それなら得意だ。それに、そんなこと、簡単すぎる。好きなことをして、その上、この苛立ちも解消できるというのなら、まさに願ったり叶ったりである。とは思ったものの、いざ、好きなことをしろと言われても、そう簡単にはいかない。俺が心の中から好きと言えることは、そう多くはないのだ。言葉を書くこと、それから、戦うこと。あとは、バーベキューくらいしかない。

消去法で考えると、戦いとバーベキューは相手や仲間がいなければできないことなので、簡単には出来ない。となると、言葉を書くことが最も簡単に思えるが、苛立っている時に書く文章なんてものは、クソだ。読み返して更に苛立つことは目に見えている。言葉には感情が宿るのだ。たとえ、こんな世界の誰も読んでいないようなブログの、くだらない記事の中にあったとしても、だ。

また、振り出しに戻ってしまった。俺の中にいるもやもやとしたそいつは、相も変わらず、心の中をぐるぐると、時折、壁にぶつかりながら、回っている。俺は、水槽の中を泳ぐ魚を見るように、心の中のそいつを見つめる。そして気づく。そいつはただがむしゃらに暴れているだけではない。まるで、何かを振り払うような、何かから逃げるような、何かに助けを求めるような。そんな暴れ方をしているのだ。

もういい、面倒だ。

俺は大きく深呼吸をし、雨上がりの湿気を含んだ冷たい空気で心を満たす。そして、心の中に手を突っ込み、おもむろにそいつを掴み上げた。もやもやしたそいつは、俺の手から抜け出そうとバタバタと手足のような何かを振り回すが、俺はがっちりと掴んだまま離さず、そのまま洗面所へ向かい、蛇口を目一杯捻り、そいつを水の中に突っ込んだ。

 必死に暴れて逃げようとするもやもやを押さえつけ、怒りに任せ、水の中でゴシゴシとこする。流れる水がドス黒く濁る。いったい、なんなんだこいつは。嗚咽が漏れる。黒く汚れたそいつを洗いながら、俺は、泣いていた。

子どもの頃、怒り狂った親父に昆虫図鑑を投げられ、それが顔に当たりとんでもない量の血が出たことがある。その頃も、今と同じように、血まみれになったタオルを俺は泣きながら洗っていた。あの頃、俺はよく泣き、よく怒った。力いっぱいの大声で怒り、そして顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくり、生きていたのだ。そう、あの頃の俺は、人間として、生きていた。

水の濁りは消えるどころか濃くなっていき、俺はムキになりながら、力任せにゴシゴシとこすり続ける。目からは涙が溢れ続けていた。その水の淀みが一体なんなのか、このもやもやがどうして俺の心の中に居たのか。俺はその時、ようやく気付いた。そして、気付いた頃には、そいつのもやもやはすっかり流れ落ち、流れる水は透明になっていた。

俺の手の中で、子犬のように震えるそいつは、猫のような鳥のような、蜥蜴のような、不思議な生き物だった。迷ったのか?俺が聞くと、そいつはビクッと体を震わせ、威嚇するように声を上げる。俺は蛇口の水を緩め、冷水に湯を混ぜる。暖かいお湯で身体を流してやると、そいつは目を細め、少し安心したように息を吐いた。もう大丈夫だ、何も心配いらない。俺が言うと、そいつは不思議そうに首をかしげ、俺を見つめるのだった。

こいつがどこから来たのかはわからない。だが、あのもやもやの正体はわかる。あれは、俺が消し去った気になっていた、苛立ちや悩みや悲しみ、そういった心の中の埃だ。俺がベッドの下や本棚の裏や、クローゼットの中や、引き出しの奥にしまいこみ、綺麗に片付けた気になっていた汚れだ。それを、どこからか迷い込んだこいつが、いつの間にか集めて、苦しくなって暴れていたのだ。ごめんな。俺は、ドライヤーでそいつを乾かしながら、言う。

もし、こいつがいなければ俺はどうなっていたのだろうか。これまでと同じように、苛立ちや悩みや悲しみや、そういった考えたくないものを、ベッドの下や本棚の裏にしまいこみ、忘れた気になりへらへらと人生を生きていたのだろうか。そうして積み重なった黒い心の埃たちは、ある時、一気に溢れ出して俺の心を壊していたかもしれない。すっきりとして伸びをする、そのよくわからない生き物を、俺は再び自分の心の中にしまった。そうして、今度は自分に言い聞かせるように言う。もう大丈夫、心配いらない、と。

苛立ちや悲しみといった負の感情は、人生を生きる上で欠かせないものなのかもしれない。俺は、その感情を、もう、上手く感じることが出来ない。そうすることで、上手く生きているような気になっていたのだ。しかし、そうじゃなかった。そのことに、ようやく気付いた。黒い埃に心を壊される前に、気づくことができた。

だからと言って、何かが変わったわけでもない。俺は相変わらず、苛立ちの解消の仕方がわからず、心の中の見えない場所に隠すだろう。そうすることしか、出来ないのだ。しかし、ほんの小さな変化であったとしても、心においては水面に投げた石の波紋のように、静かに、それでいて確実に広がり、やがて大きな流れとなる。

いつか、俺もあの頃と同じように、もう一度、力強く生きることが出来るだろうか。それはまだわからないが、これからは、もう少しだけ“嫌な奴”になってみることにしようと思う。