剛力彩芽を忘れない
その日俺は、自分の死に方を考えていた。
別に、死にたいと思うほど辛いことがあったわけではない。ただ、退屈だったのだ。毎日、会社に行き、朝から晩まで面白くもない仕事をし、家に帰れば疲れて眠るだけの日々の繰り返し。目指すものも、守る者もなく、幸せでも不幸でもない退屈な日々。その中で俺は、生きる意味を失っていた。
四年前。学生だった頃の俺は、作家になることを夢見て、ずっと、様々な物語を書いていた。その頃の俺は、夢と野心に満ち溢れていた。自分が小説で賞を取った時、インタビューで何を話すか。いつも、そんなことを考えていた。大学に行かず就職を決めた時も、働きながら物語を書き、一本当てて仕事を辞めるつもりだった。
しかし、現実はそんなに甘いものではない。働きながら物語を書き続けて数ヶ月。俺は自分の才能の無さを思い知った。それは、文章を書く才能や物語を考える才能ではない。俺に足りなかったのは、目標に向けて努力する才能だった。俺は、仕事を言い訳にし、次第に物語を書かなくなっていった。そしていつの日か、俺は物語を書くことが出来なくなった。
それからの俺の人生は、まるで消化試合のような、ただ日々を過ごすだけのものとなった。昔から、自分が作家になることしか考えていなかった。それ以外の生き方を考えたことがなかった。その癖、言い訳ばかりで努力をしてこなかった俺には、きっと何かを目指す資格なんて無いのだと思う。
退屈な人生を続けることに飽き飽きしていた。どうせなら、死ぬ時くらいは面白く死んでやろう。ただ、人に迷惑はかけたくない。散々調べた挙句、面白そうという理由で俺は、感電死を選ぶことにした。コンセントとスマホの充電コードに細工をする。準備は5分ほどで整った。
つまんねぇ人生だったなぁ。
部屋の冷たいフローリングに仰向けに転がり、無機質な天井を見上げて呟く。死に際に思い出す記憶もなく、最後に会いたい人もいない。本当に、つまらない人生だった。
はい、ありがとうございました。
誰に言うわけでもなく呟き、俺はコンセントを穴に差し込んだ。瞬間、コンセントを持つ腕に激痛が走り、同時に、視界が闇に包まれる。意識が遠のいていくのを感じる。そうして、俺の短く退屈な人生は終わりを告げる。はずだった。
気づくと俺は、無機質な白い部屋の中心で仰向けに寝ていた。何故か、パジャマのような白い服に着替えている。こういった場合、部屋の布団の中とか、病室とか、そういった場所で目覚めそうなものだが。しかし、その部屋は、立方体で、各壁に扉がある以外は何もない部屋だった。電気はあるように見えないが、部屋全体が不気味に白く光っている。
やっと目覚めたのね。
ハスキーな声に顔を上げると、そこには、俺と同じ白い服を着た若い女性の姿があった。俺は彼女を、知っている。俺だけじゃない、テレビを見たことがある人なら、ほとんどが彼女のことを知っているはずだ。
剛力彩芽さん、ですか?
そう言いたかったが、喉がカラカラで声が出ない。そんな俺の様子を見て、彩芽は、ペットボトルの水を差し出してくれた。俺はその、見たことのないラベルの貼られた水を飲み、息をつく。
ここはどこです、俺はどうなるんですか?
うーん、何から説明したらいいのかな。
彩芽は少し困った顔で答える。
ここは“死者の選択の間”らしいの。死を前にした者はここに連れて来られ、そして選択される。死にふさわしいかどうか。
ちょっと待ってくれ、意味がわからない。誰が俺をここに連れてきて、その、死の選択ってのをするって言うんだ。それに、俺の死を、どうして誰かに選択されなくちゃならない。自分で選択したんだ、それで十分だろう。
まくし立てるように言う俺を、彩芽は悲しそうに真っ直ぐに見つめる。俺は我に帰り、小さく、ごめん、と言った。
いいの、そんな風になるのも仕方ないわ。
あの、あなたもここにいるということは、その。
ええ、私も死の淵に立たされている。というか、もう死んでるようなものだけどね。
彩芽は照れたように笑い、言う。
私は、歌手としての剛力彩芽。みんなに忘れられ、今、消えようとしている存在。
歌手としての、剛力彩芽?
彩芽は両手を広げ、大きく息を吸う仕草をする。
あなたの知ってる剛力彩芽は、実は三人いるの。雑誌に出ているモデルとしての剛力彩芽。ドラマやバラエティに出ている女優としての剛力彩芽。そして私、歌手としての剛力彩芽。
どういうことだろう。よく意味がわからないが、今、俺の目の前にいるのは、テレビや雑誌に出ているモデルや女優としての剛力彩芽ではなく、既に消えかけている歌手としての剛力彩芽らしい。こんな非現実的な状況だ。そんなことが起こったって仕方ない。ようやく冷静に、というよりかはヤケクソに、思考ができるようになってきた。俺は部屋の真ん中で胡座をかき、そして、彩芽を見上げて言う。
それで、俺はこれからどうすればいい。
彩芽はいつもの笑顔で俺の隣に座り、そして話し始める。この特殊な空間の存在理由と、俺と彩芽がここに連れて来られた意味を。
彩芽の話によると、この場所は“死者の選択の間”と呼ばれる、現世とあの世の狭間に存在している空間らしい。死を目前にした人間が連れて来られ、何者かがその死を選択するために存在している。その選択方法は単純なのか複雑なのかよくわからない。今の部屋のように、各壁に扉がある部屋が延々と続いており、選択される側の人間は自由に入りたい扉を選びながら進んで行く。そして、最後に、生か死か、どちらかの扉に辿り着くというのだ。
彩芽は、この話を“前任者”に聞いたらしい。その前任者は、彩芽と共に部屋を進み、そして最後、死の扉を選びこの空間から去ったという。
とにかく、俺たちは生きるにしても死ぬにしても、扉を進むしかないってことか。
そういうこと。
話し疲れていた彩芽に、今度は俺がペットボトルの水を差し出す。彩芽は嬉しそうに笑い、間接キッスだ、と言うのだった。
俺たちは、とりあえず先に進むことにした。いくつかの部屋を進み、そしてこの空間の特性を理解する。各部屋のうち、いくつかには何かしらの仕掛けがあり、その多くは、精神的な物であった。高校時代に俺が使っていた机と椅子が置かれた部屋。昔飼っていた猫がただこちらを見ているだけの部屋。好きだった女の子が全裸で俺のことを呼ぶ部屋。知らない人が血まみれで横たわっている部屋(それは、彩芽の知っている人のようだった。)
中でも辛かったのは、俺の考えた物語が書かれた原稿用紙が部屋中に散らばっていた部屋だった。その多くは、俺が書いている途中で挫折し、書き切れなかったものだ。俺はその一枚一枚を拾い上げ、読み、そして、夢と希望に溢れていたあの頃を思い出す。いつの間にか俺は、泣いていた。彩芽は何も言わず、涙を流す俺を優しく抱き寄せ、大丈夫、と言ってくれた。俺は彩芽の胸に顔を埋め、子どものように泣いた。
死の選択者は、何が目的でこういったことをするのかわからなかった。ただ、そういった仕掛けもあり、20部屋ほど進んだ頃には、俺も彩芽も疲れきっていた。
ボーナス部屋のようなものなのだろうか、ペットボトルの水と缶詰のパンだけが大量に置かれた部屋に辿り着き、俺たちはそこで休むことにした。2人、部屋の壁にもたれるように座り、天井を見つめる。
さっきは、ごめん。
俺が言うと、彩芽は恥ずかしそうに笑う。
いいよ、誰だって、辛い過去はあるものだから。
この特殊な空間に来てから、何時間が経っただろうか。俺は、彩芽の存在に本当に助けられていた。もし、彼女がいなければ、俺は気が狂いどうにかなってしまっていただろう。
初めて出会った時に言っていたけど、あなたは、自分で死を選択したの?
彩芽は、小さく言い、そして慌てて、言いたくなかったらいいから、と続ける。
そう、俺は自殺したんだ。自分のつまらない人生に、飽き飽きしてさ。
俺は彩芽に話す。昔は作家になりたかったこと。自分が、努力もせず、言い訳ばかりのくだらない人間であること。夢を諦め、ただ生きるだけの人生にうんざりしていたこと。自分から、死を選択したこと。
彩芽は何も言わず、ジッと俺を見つめ、話を聞いてくれた。それだけで、俺は救われた気がした。
私もね、と、彩芽は話し始める。
私も、昔から歌手になることが夢だったの。子どもの頃、テレビで見てた歌って踊れるアイドルに、いつか自分もなりたいって、そう思ってた。モデルになって、色んな人に支えられて、女優としての仕事も貰えるようになって、それでも、歌手になりたいって思ってた。それって、贅沢なんだけどね。事務所や業界の色んな人に頼んで、無理を言って、それでようやく、歌わせてもらえることになったんだ。嬉しかったなあ。
そう言った彩芽の顔は、どこか寂しげだった。その話は、意外なものだった。彼女の歌は、お世辞にも上手いものではなかったし、世間の評価も厳しいものだった。俺はてっきり、偉い人に話題作りとして無理矢理、歌手活動をさせられていたものだと思っていた。
今じゃ、こんなザマだけどね。
そう言って、彼女は悲しそうに笑う。俺は、何も言えなかった。
俺たちは、缶詰の入っていたダンボールを床に敷き、2人で寄り添うようにして眠った。こんな意味のわからない状況ではあったが、彩芽が隣に居るだけで、これまでに感じたことのないほどの安心感の中で眠ることが出来た。
食事をして眠ったことにより、疲れはだいぶマシになった。元気になった俺たちは、再び進むことにした。扉を開く時、どちらからでもなく、手を繋ぐ。
私たち、もっと別の形で出会えていたら、きっと友達になれたのにね。
今からでも遅くないさ。ここから生きて出て、もう一度やり直そう。
彩芽は顔を伏せ、そして小さく頷く。彼女と共に過ごすうちに、俺は生きたくなっていた。彼女と一緒なら、きっと俺の退屈な人生も、楽しいものになる。だから。
次の部屋を開けた時、彩芽が短い悲鳴を上げる。部屋に居たのは、スーツ姿の男女だった。俺の知らない人間、ということは、彩芽の記憶に関係する人物なのだろう。
まったく、何が歌手になりたいだよ。
ほんと、歌も下手くそ、踊りも覚えれない、フォローする私たちのことも考えてほしいわ。
なるほど、どうやら彼らは、歌手としての彼女の関係者なのだろう。そして恐らくこれは、彩芽の辛かった記憶。
どうして上は、あんな女を押すんだ?
もっと他の可愛い女の子たちにチャンスをあげるべきよ。
彩芽は俺の後ろで耳を塞ぎ、小さく震えている。
ま、ユーザーはもうわかってるさ。あいつはすぐ消える。それまでの辛抱だ。
やめて!
彩芽が叫ぶ。俺は彼女の肩を抱き、足早に部屋を抜ける。次の部屋は、幸いなことに、何の仕掛けもない部屋だった。彩芽は耳を塞いだまましゃがみ込み、小さく、やめて、と呟いている。俺は彼女を抱き寄せ、落ち着くまでその背中を撫で続けた。
ほんと、ダメだな私。
ようやく落ち着いた頃、彩芽は俺の膝の上に座り、そんなことを言った。
ワガママ言って、自分だけやりたいことをやって。周りの批判なんて考えもしなかった。みんな、応援してくれると思ってた。でも、
もういい。
でも、結果はわかりきってた。わかってないのは、私だけだった。みんなに批判されて、笑われて、それでようやく気づいたの。そして自分だけ傷ついた気持ちになって、
もういいって言ってるだろ。
俺は言い、彼女をもう一度、強く抱きしめた。こんな訳もわからない、生きてるか死んでるかもわからないような状況の中で、昔の記憶で傷つくことなんてないんだ。
俺たちはその後も、幾つかの部屋を進んで行った。互いに支え、励まし合いながら。しばらく進むと、仕掛けのある部屋が少なくなってきた。俺たちは、互いに口数も少なくなる。終わりの時が近い。2人ともなんとなく、それを感じていた。そんな時
あなたの書く物語、私、好きだよ。
彩芽がそんなことを言った。
ぼんやりとした、淡い夢の中を歩いているみたいで、そう、まるで今みたいな。優しくて、どこか懐かしい気持ちになれるから。
そんな風に言ってもらえたのは、初めてだった。そして、また物語を書きたいと、そう思った。早く生きて帰りたい。新しい物語を、彼女に読ませてあげたい。
そして俺たちは、辿り着いた。
その部屋は他の部屋と違い、扉は一つしかなかった。その扉からは、光が漏れている。それが、“生の選択の扉”であることは、直感でわかった。
さあ、行こう、2人でやり直すんだ。
俺は、彩芽の手を取り、駆け出す。扉を開いた時、彩芽の手が俺の手から離れた。
ダメ、私は、ここから先には行けないみたい。
な、何を言ってるんだ、ほら、早く。
掴もうとした彩芽の手を、俺の手はすり抜ける。まるで、そこに何もないかのように。
これが、選択の結果みたいね。
そんな、嫌だ、彩芽がいないなら、俺の生きる意味なんてない。
ふふ、大丈夫。
彩芽は笑い、俺を抱き寄せようとするが、その手も俺の身体をすり抜ける。それでも構わず、彼女は話し続けた。
私は3人いるって言ったでしょ。歌手としての剛力彩芽が死んでも、モデルや女優としての剛力彩芽は生き続けるの。彼女たちは、私と同じ。だから、きっと仲良く出来るよ。
そんなの無理だ。モデルや、女優と知り合いになんてなれるわけない。
大丈夫、あなたならきっと、夢を叶えられる。物語を書いて、有名になれば、きっといつか出会えるから。
その時が、近いらしい。扉の向こう側から、見えない何かが俺の身体を引っ張る。
俺、絶対、彩芽のこと忘れない。帰ったら彩芽の歌を聴くし、友達みんなにも聴かせる。絶対、君のこと忘れさせない、君を死なせない。
俺は、泣きながら叫んだ。彩芽も、笑いながら、泣いていた。
ありがとう、俺に生きる選択をさせてくれて。
全身が光に包まれ、扉の向こうの彩芽の姿が徐々に見えなくなる。俺は何度も何度も、ありがとうと叫び続けた。暖かい光の中、遠くに歌声が聞こえた。
ねえ 君はもう 友達じゃない
友達より 大事な人
心と心で話す魔法 そう目を見れば分かる
「ありがとう」じゃ 足りないほど
「ありがとう」が あふれてるよ
神様がくれた 最高のタカラモノ
世界一のMy Friend
目が覚めると、そこは俺の部屋だった。自殺未遂をする前と同じ、仰向けの姿勢で。窓の外から、夕陽が見える。どうやら、気を失っていたのは数時間のようだ。頭が痛い、電流が流れたせいか、未だに身体が小刻みに震えている。長い、夢を見ていたような気がする。
起き上がろうとした俺は、バランスを崩し、部屋の端に置かれた棚に倒れかかった。棚の上に並べていたCDがバラバラと落ちる。
ああ、ちくしょう。
落ちたCDを拾い上げ、俺は手を止めた。それは、昔、友人と勝負で負けた罰ゲームとして買った、剛力彩芽のCDだった。あの頃、俺は歌手としての彼女をバカにしていた。でも、今は違う。俺はフラフラと立ち上がり、CDの封を切り、プレーヤーへ入れる。懐かしい彼女の歌声が、部屋に流れる。
しばらく彼女の声を聞いた後、俺は机に座り、引き出しからペンと原稿用紙を取り出した。久しぶりに書く物語だ。上手く書けるかどうかはわからない。でも、俺は今、書きたいんだ。
ねえ 君はもう 友達じゃない
友達より 大事な人
彼女の歌を口ずさみながら、俺はペンを手に取る。一度死に、そして生き返った俺の、最初の物語。これは、俺と彼女の、淡い夢の中を歩いているような、そんな物語。
書き出しは、こうだ。
その日俺は、自分の死に方を考えていた。