かきかたの本

書き方の練習

味無しクッキー“アイヌより愛を込めて”

スーパーマーケットのバレンタイン特設コーナー。真剣な表情で、チョコの手作りキットを選んでいる制服姿の女学生が一人。口元に指を当て、何度も箱を取っては戻しを繰り返す。そんな光景を見ながら俺は、日本もまだまだ捨てたものではないな、と、そんなことを思う。日本の女学生は、かわいい。誰がなんと言おうと、世界中のどの国の女学生よりも、だ。

日本のバレンタインデーは、おかしい。と、ここ数年で、そんな意見をよく聞くようになった。確かに、バレンタインデーというのは気になる人にチョコレートを渡して愛の告白をする日でも、友達同士でチョコレートを交換し合う日でも、好きでもない職場の人にデパートで適当に買ったチョコレートを渡す日でもない。愛する恋人と、愛を確かめる日だ。

日本人の悪いところは、異国のイベントを日本流に捉え、楽しいところだけをマネするところだと思う。クリスマスにキリストの生誕を祝う人間や、ハロウィンに豊作を願う人間は、この国にはほとんどいないだろう。しかし、俺は日本人のそういうところが嫌いじゃなかった。楽しいことは、素直に楽しめばいい。もちろん、日本のバレンタインデーも大好きだ。

俺は、チョコレートが好きだ。誰かに何かを貰うことが好きだ。それに何より、女の子が好きだ。女学生や美少女に限らず、女の子はみんな好きだ。そんな女の子たちが、勇気を出して、チョコレートと想いを贈る。そんな素敵な日が、日本にはある。

さて、俺自身にとっても、バレンタインデーは特別な日だった。以前、暗い学生時代を送っていたと話したことがあるが、そんな俺でもバレンタインデーにはチョコレートを貰っていた。貰っていたのだ。ふふふ、どうだ、悔しいか。

高校二年のバレンタインデーの話だ。その年、俺はなぜかやけにチヤホヤされており、バレンタインデーには十数人の女の子たちからチョコレートを貰っていた。と、言っても、当然の如く、大量生産の所謂“義理チョコ”というものだったのだが。それでも、女の子から手作りの何かを貰えるのはとても嬉しかった。

そんな中、仲は良かったが、チョコレートをくれなかった女の子がいた。小学校の社会の教科書に載っていた、アイヌの親子の父親によく似た女の子だった。アイヌの親子の父親によく似ているほどなので、顔はあまり可愛くはない。しかし、俺は彼女が嫌いではなかった。

昔から、目立つことやチヤホヤされることが好きだった俺は、生徒会やその他の活動で、人前に立って話すことが多かった。そんな俺のことを、彼女は、よく褒めてくれていた。教師や先輩、仲間、俺を褒めてくれる人たちは多くいた。しかし、彼女は他の人たちと違い、心のこもった言葉をくれていたように思う。

それは、きっと彼女が、俺と二人きりの時にだけ、俺のことを褒めてくれたからだろう。彼女は、俺が一人でいる時、駆け寄って来て「今日の発表、すごくよかったから」とだけ言い、そのままどこかへ駆けて行くような、そんな子だった。

さて、話はバレンタインデーに戻る。その年、十数個のチョコレートを貰って浮かれていた俺に、アイヌの親子の父親によく似た彼女は、申し訳なさそうに、俺に渡すチョコレートがないことを告白する。特に、気にはしなかった。他にもチョコレートをくれなかった子はいるし、それに俺はすでに十数個のチョコレートを貰っていたのだ。何より、彼女はバレンタインデーに意中の人にチョコレートを渡したり、友達同士で交換しあったりするような子ではなかった。

俺は落ち込んでいるふりをして、彼女に「来年は、待ってるから」と言った。彼女は、わかった、と言い、そしてまたどこかへ駆けて行くのだった。

翌年のバレンタインデーは、誰からもチョコレートを貰えなかった。高校三年の二月は、すでに自由登校期間だったこともあり、バレンタインデー当日は家でゲームをして過ごしていたように思う。

そして、次の登校日。バレンタインデーから数日が過ぎていたが、アイヌの親子の父親によく似た彼女は、約束通り、俺にお菓子をくれた。チョコレートではなく、クッキーだった。どうせ、チョコレートはたくさん貰っているだろうから、とのことだ。その年に貰ったのは、そのクッキーだけだった。

可愛らしい袋の中に、小さく、歪な形をしたクッキーがたくさん入っていた。特に何かの形をしているわけじゃない。彼女の不器用さが見え、微笑ましかった。一口、食べる。味がない。二口目。やはり味がない。三口目で、俺は自分の舌がおかしくないことを確信する。そのクッキーには、味がなかった。うまいまずいではない。味が、ないのだ。俺はぼんやりと、外を見ながら、無心で味無しクッキーを口に運び続けた。感情は、特になかった。

そんなこんなで、高校を卒業し、アイヌの親子の父親によく似た彼女と関わることもなくなったそんなある日。俺は仕事帰りに立ち寄ったラーメン屋で、彼女と再会することとなる。働き始めて2年目の春のことだった。

会社からの帰り道にあるラーメン屋。駐車場が狭かったので、入ることはなかったが、その日は残業で遅くなり、駐車場が空いていたこともあり、入ってみることにした。そしてそこで、アイヌの親子の父親によく似た彼女と再会する。彼女は、頭にバンダナを巻き、白いエプロンをして働いていた。一年ぶりに出会った彼女は、笑顔で、いらっしゃいと言う。可愛い、と、思った。

それから俺は、しばらく、そのラーメン屋に通うこととなる。正直、そこのラーメンはまずかった。値段も高いし、サイドメニューもチャーハンしかない。俺は、彼女に会うためだけにその店に通っていた。

彼女はいつも笑顔で、お疲れ様と、俺を迎えてくれた。一言二言、話をし、まずいラーメンを食う。チャキチャキと働く彼女の後ろ姿を見ながら、まずいラーメンを食う。それだけでよかった。いつしか、そのラーメン屋は、俺の帰る場所になっていた。

それから約一年、俺は職場が異動となり、仕事帰りにそのラーメン屋に通うことはなくなった。しばらくして、そのラーメン屋に再び行った時、アイヌの親子の父親によく似た彼女の姿はなくなっており、代わりに、バイト募集中の張り紙がされていた。彼女は、辞めてしまったのだろうか。アイヌに帰ってしまったのだろうか。俺は一人、まずいラーメンを食べながら、彼女へ連絡を取ろうとした。その時、連絡先に彼女の名前がないことに気づく。

使い古された言い回しであるが、無くして初めて気づくことがある。彼女とは、いつでも会えるのだと思っていた。彼女はいつも、アイヌの親子の父親によく似た笑顔で俺を出迎え、まずいラーメンを出し、俺の話を聞いてくれると思っていた。

今となってはもう、わからないが。俺はもしかしたら、彼女のことが、好きだったのかもしれない。

明日は、バレンタインデー。世界にハートとチョコレートが溢れる、特別な日。

アイヌの親子の父親によく似た彼女は、今年も誰かに、あの味のしないクッキーを渡すのだろうか。

俺はきっとまた、職場で、何の気持ちもないチョコレートを大量に貰うだろう。チョコレートは嫌いじゃないが、あの甘さは、多すぎると嫌になる。

遠く北の地に想いを馳せながら、たまには味のしないクッキーも悪くないな、と、そう思った。