かきかたの本

書き方の練習

ボーナスは妹払いで

会社のロッカーで着替える俺に、嬉しそうに話しかけてきたのは、いかにも人の良さそうな初老の男性だ。俺は彼のことを知っているが、彼のことを知らない。

彼とはロッカーが隣だが、顔を合わせることはほとんどない。部署も仕事も違うので、たまにどちらかが残業をしたりして、時間がずれた時にだけ、俺たちは出会う。だが、会う度に彼は、まるで昔からの飲み仲間と会った時のように俺に話しかけてくるのだ。そんな“とたけけ”のような彼の本当の名前も、部署も、年齢も、俺は知らない。だが、俺は彼のことを知っている。きっと、彼の名前や、部署や、年齢を知っている人よりも。

そういえばそうですね、何か使うご予定が?

んー、夕飯のオカズが一品増えるくらいだね。結婚しちゃうとどうしても、ね?

あっはは、まあ、それも一つの幸せですよ。僕は宝くじでも買いましょうかね。

おっ、ボーナス10億!夢があるねぇ。

なんて、そんな楽しい会話をしている間にも俺は、心の隅で、この人は誰だろう、とそんなことを思っている。そして、それが心地よかったりもするのだ。自分のよく知らない相手、自分のことをよく知らない相手。そういった人と話すのは、楽しい。会話の端々に、ちょっとした嘘を織り交ぜたりなんてしたりして、そんな風に純粋に、会話を楽しむことができるから。

水曜日の仕事終わり。束の間の会話を楽しんだ後、俺は駐車場で健気に俺を待つ愛車の元へ早歩きで向かう。12月の空は、19時でもすっかり暗闇だ。

ボーナス、か。車に乗り込みエンジンをかけ、一人ボソッと呟く。言われるまで、ボーナスのことなどすっかり忘れていた。貯金は人に言えるほど多くもないし、月の給料だって暇な大学生のアルバイト程度くらいしか貰っていない俺にとって、年に二度のボーナスは、貴重な貯蓄源である。貯蓄源という言葉が存在するからわからないが、生きているだけで何故か赤字の俺は、ボーナスでしか貯金が出来ない。それなのに、そんな大事なボーナスのことを忘れていたのは、きっと俺が、それほど金銭というものに執着を持っていないからなのだろう。

お金より大切な物がある。愛、友情、信頼、その他もろもろのありきたりな何か。金銭はあくまで単なる“手段”であり、それそのものにはメモ用紙程度の価値しかない。と、そんなことを思いながら、1日9時間、週5日、起きている時間の大半を、賃金のための労働に費やしている俺は、矛盾の存在といえるかもしれない。

月に一度の給料日や、年に二度のボーナスを楽しみに日々を頑張って働いている人は、少なくはないだろう。働いている人のほとんどは、きっと、お金のために働いているのだから、それは当然なのだろう。と、すると、俺は少し特殊なのかもしれない。

別に贅沢をしたいわけではない。ただ、生きるためにお金が必要なので働いてはいるが、そこまで生にも執着していないので、となると、そんなにお金が欲しいわけでもない。そんな風に、ふわふわと、緩い矛盾を抱えながら日々を生きているのだ。

だったらいっそ、ボーナスはお金以外のものの方がいい。お金で買えないもの、そう、例えば、妹なんてどうだろうか。年に二度、どこかに下宿している妹が家に帰って来るのだ。ああ、きっと最高だ。仕事を終え、疲れた体で家に帰ると、玄関に見慣れない懐かしい靴がある。俺は高揚する心を抑え、あくまで平静を装い、リビングへ向かう。

あ、おかえり。

おう、ただいま。それから、おかえり。

ふふっ、ただいま。

エプロン姿で台所に立つ妹は、髪が伸びたからだろうか、この半年でずいぶんと大人っぽくなったように見える。

お兄ちゃん、冷蔵庫の中なんにもなかったけど、ちゃんと食べてるの?

食べてるさ、ほら。

そう言って俺は、コンビニ弁当の入った袋を見せる。妹は呆れ顔で俺の手から袋を奪い取り、俺を無理やりリビングの椅子に座らせる。

今日は私が作るから、座って待ってて。

いや、いいよ、お前も疲れてるだろ。

いいから、待ってて。

妹は、鼻歌交じりに野菜を切ったり、ステップを踏みながら何かを煮込んだり、味見をして満足そうに笑ったり、そんな風に料理をする。俺はそんな彼女の姿を、飽きることなくずっと見ているのだ。

夕飯は、煮込みハンバーグと暖かいスープだった。久しぶりに食べたちゃんとした料理に、俺は思わず泣きそうになる。俺にとっては、ただ空腹を満たすだけの行為でしかなかった食事も、彼女と一緒なら幸せな時間となる。

それから俺たちは、くだらないバラエティ番組を見ながらお互いの近況を報告しあい、昔の思い出話なんかをしたりしながら、平日の夜の時間をゆっくりと過ごした。妹は笑ったり呆れたり、少し寂しそうな顔をしたり、何かを言いたそうに俺の顔をじっと見つめていたり、短い時間で本当に色々な表情を見せてくれた。俺もきっと、同じように色々な顔をしていただろう。社会に出て、感情の死んでしまった俺が、唯一人間らしい暖かい気持ちになれる時間だった。

しかし、残酷なことにも、楽しい時間というものは、あっという間に過ぎるというのが世の常である。俺が風呂から上がると、妹はテーブルに突っ伏すようにして眠っていた。風呂上がりで濡れた髪のまま、まったく、風邪を引いちまうぞ。俺は眠る妹の髪を乾かし、軽くとかし、そして彼女をベッドに運ぶ。我が家にはベッドは一つしかない。一緒に寝ても、彼女はきっと何も言わないだろう。しかし俺は、固いソファで眠る。それが、兄というものなのだ。

朝、目覚めると彼女の姿はなくなっていた。テーブルの上には朝食が用意されており、裏返しに置かれたカップで押さえられた置き手紙には、可愛らしい字で『お仕事頑張ってね。また半年後に帰ってきます。妹』と書かれていた。

また、いつもと変わらぬ孤独で退屈な日々が始まる。俺はため息をつき、カーテンを開く。眩しい朝日が寝起きの顔に容赦なく差し込み、俺は思わず目を覆った。

なんだ、いい天気じゃねえか。

 

人生においてのボーナスというものは、きっとお金などではないのだろう。それは例えば、息を飲むような壮大な自然の風景であったり、誰にも体験できないような何事にも変えがたい経験であったり、昔好きだったあの子からの数年ぶりの手紙であったり、久しぶりに会った妹と過ごす平日の夜の時間であったり。

そういった、特別な出来事や時間。これからも頑張って生きていこうと、そんな風に思えるかけがえのない何か。そういったものが、人生におけるボーナスなのだろう。と、俺は思う。

俺には妹はいない。しかし、一生懸命働いていれば、いつかきっと、家の玄関に見慣れない懐かしい靴がある日が来るかもしれない。そんな日を夢見ながら、俺は日々を生きるのだ。

少し大人っぽくなった君に、ただいまとおかえりを言える、そんな日を。