かきかたの本

書き方の練習

バス停の光と陰

その時、俺は確かに、陰の中に立っていた。

その日は珍しく通勤バスが遅れており、俺は駅のロータリーでバスを待つ列に並んでいた。7月の最初の月曜日。梅雨の中休みの快晴が、押し付けがましく俺たちに夏を知らせる。月曜日ということもあり、バスを待つ人々は皆、死者の列のように一様に、虚ろな顔で下を向いていた。朝の日差しというものは、人を憂鬱な気分にさせる。ただでさえ陰鬱とした気分が、より重くなる。

ため息を一つ、空を見上げる。雲一つない快晴。このままバスが来なければいいのに。そんなことを考えてみるが、しかし、バスが来なければ結局、俺は歩いて会社へ向かうだろう。たとえバスが来なくとも、天変地異が起ころうとも、世界が滅びようとも、行くべき会社が無くなろうとも、 俺はきっと会社へ向かうだろう。それしか生きる方法を知らないのだ。そこしか向かう場所が、ないのだ。

彼らも同じだろうか、前後に並ぶ人々を見たとき、ふと、あることに気づいた。全員が、太陽の光を避けるために陰の部分に並んでいるのだ。当然と言えば当然のことかもしれない。この暑い中、わざわざ炎天下の日差しの下に立つ意味はないだろう。しかし、俺はその光景に恐怖を覚えた。その光景が当たり前であることに、恐怖を覚えたのだ。虚ろな表情で、陰に列を成す生きる屍たち。いや、彼らは生きてすらいないのかもしれない。ただ日々を繰り返すだけの存在と成り果てている彼らにとって、生命の象徴である太陽の光は、身体を焦がす天敵なのだ。

遅れてきたバスがようやく到着した。屍たちはゆっくりと、順番にバスに乗り込んでいく。バスの扉は巨大な焼却炉の入口になっており、屍たちは虚ろな表情のまま炎の中へと落ちて行く。声も上げず、抵抗もせずに。俺は一歩も動くことが出来ず、その光景をただ見つめていた。死者の列を全て飲み込み、バスは俺を置いて走り出す。その先に何があるのか、俺は知っている。

遠くに、チャイムの音が聞こえた。この駅からは、かつて俺が日々を過ごしていた母校が見える。呆然と立ち尽くす俺の前を、制服を着た学生たちが話しながら歩いて行く。光の中を歩く彼らは、かつての俺たちの姿だった。学校という狭い世界の中での、退屈でくだらない日々。しかしそこでの生活は、生命の輝きに満ち溢れていた。ああ、もう一度、あの日に……。

ふらふらと、俺は陰の外へ、光の中へ歩みを進める。途端、全身を猛烈な痛みが襲った。手を見ると、太陽の光を受けた部分が煙を上げて焼け爛れて行く様子が見えた。いつの間にか俺自身も、先ほどの死者の列の住人と同じ、生きる屍となっていたのだ。俺は恐怖に怯え、叫び声を上げながら駆け出した。太陽の光は俺の全身を容赦なく焼き尽くし、焦げた手足は乾いた虫の死骸のようにバリバリと音を立てながら崩れ落ちる。両足が千切れ、地面に転がった俺の前を、学生たちが楽しげに会話をしながら歩いて行く。頭だけになった俺は、懐かしい母校を見つめ、黒い涙を流しながら、ゆっくりと太陽に焼かれて朽ちて行った。

 

気づくと、俺はバスの前から二番目の窓側、いつもの席に座っていた。エアコンの効きすぎた車内、隣には小太りの中年が座り、ハンカチで汗を拭いている。ああ、いつもと同じ光景だ。少し安心し、同時に酷く憂鬱な気持ちになる。このバスは会社へ向かう。俺はバスを降りるといつもと同じようにロッカーへ向かい、制服に着替え、そしてデスクに座り仕事を始めるだろう。変わらない日々、変わらない人生。それを変えたいと思いながらも、俺は、彼らと同じように、バスに乗る。やはり、それしか生きる方法を知らないのだ。

どれだけ戻りたいと願っても、過去に戻ることは出来ない。それはわかっているが、しかしそれでも、人は過去を思い、懐古と後悔に黒い涙を流すだろう。思えば、過去というものは、太陽の光に似ている。その輝きが大きければ大きいほど、今を生きる屍たちの心を焦がすのだ。そうして心を焼かれた人々は、屍となり、それでも生き続ける。決して辿り着くことの出来ない、過去の輝きへ向かって、陰の道を歩き続ける。

バスが会社に到着し、屍たちは再び列を成し、バスを降りていく。その最後尾に並び、俺もバスを降りた。ただ日々を生きるだけの存在であることに疑問を抱きながら、それでも俺は陰の道を進むことを受け入れた。それしか生きる方法を知らないのだから。