かきかたの本

書き方の練習

マーブルチョコを買う

ここ最近、毎日マーブルチョコを買っている。会社の食堂で昼食を食べ終え、事務所へ帰る前にコンビニでマーブルチョコを買う。それが俺の最近の日課のようになっていた。

規則的な生活というのが嫌いなので、日課、なんて気色の悪いものは極力避けたいのだが、しかし、それでもマーブルチョコは毎日買わなければならないのだ。買わなければならない理由はない。それに、俺はそこまでのマーブルジャンキーではない。しかし、マーブルチョコを買わなければならない。始まりは、どこかにあったのだと思うけれど、今となっては思い出せず、ただ、マーブルチョコを買わなければならないという使命感だけが、空き缶のように、あるいはプルタブのように、俺の中に残っていた。俺は意味もわからず、ただ真面目に、その使命を全うしていた。

 会社のデスク、カバン、そして手元。三ヶ所に、いつも食べかけのマーブルチョコがあることに、ふと気がつく。どこかの一ヶ所のマーブルチョコが無くなると、新しいマーブルチョコが補充され、そしてまた別のマーブルチョコが無くなり、補充される。いつの間にかそこに、マーブルチョコの循環が生まれていた。ただ、マーブルチョコを買う。そして、食べる。買う、食べる、買う、食べる……。俺はマーブルチョコという名の世界を回す。そこには7色の生命が生まれ、崩壊し、また新たな生命が生まれる。地球ももしかしたら、そんなものなのかもしれないな。そう思いながら、口の中に入った水色のマーブルを噛む。一つの世界が終わり、優しい甘さが口に広がる。

そんな風に、この数ヶ月繰り返されてきた循環に、異変が起こりつつあった。それに気づいたのが、数日前のことだ。

16時。データ入力を終え、一息ついてデスクの引き出しの中のマーブルチョコに手を伸ばす。その時、引き出しの中にマーブルチョコが二本あることに気がついた。しかし、交代時期がずれる事はよくあることだ。特に気にせず、マーブルチョコを3粒ほど食べ仕事に戻る。翌日、いつものようにマーブルチョコを買い、そしてデスクの引き出しに入れる。違和感。見ると、マーブルチョコが三本並んでいる。おかしい。カバンを開くと、中には二本のマーブルチョコ。何かがおかしい、どうなっているんだ。

手元にあるマーブルチョコを全て並べると、合計で6本あった。それは、マーブルチョコの生まれる速度が崩壊に追いついたことを意味していた。要するに、俺の食べる速度が遅くなったことにより、供給が需要を上回り、マーブルチョコの飽和状態が生まれていたのだ。

そうして、マーブルチョコは数を増やし続けた。俺は、飽きていたのだ。マーブルチョコを食べることに。その甘ったるさに。しかし、その遅くなった消費速度とは裏腹に、マーブルチョコは増え続ける。いつしか、マーブルチョコを食べることではなく、買うことが目的となっていた。食べたいから買うのではなく、他にすることがないのでとりあえずマーブルチョコを買う。マーブルチョコを買うという行為を止めた後に生まれる空白を埋める術を知らないのだ。そうして、その繰り返しの中で、マーブルチョコを買わなければならない状況が作り出されていた。

人生も、同じだ。退屈な毎日、ゴールも目的も無く、ただ時間だけを消費していく日々。なぜ生きるのか。その問いに自信を持って答えられる人間は、きっと多くはいないだろう。意味はないが、ただ、他にすることもないので、とりあえず生きる。空白の時間を何かで埋めながら、消費していく。それだけだ。

俺は今日も、マーブルチョコを買う。デスクの引き出しの中には、数えられないほどの封の切られていないマーブルチョコが転がっている。その中に、新たなマーブルチョコを入れ、俺は引き出しを閉じた。

もう長いこと、マーブルチョコは食べていない。あのマーブルチョコの封が切られる日は来ないだろう。しかし、きっと俺は明日も、マーブルチョコを買う。明後日も、明々後日も、その先もずっと。そうして、循環の止まった世界の中で、ただ7色の生命だけがひたすらに生み出され続ける。彼らは本来の存在の意味を忘れ、ただ、他にすることもないので、仕方なく生きるだろう。

何も考えず、陳列棚に並んだ他のお菓子には目もくれず、いつものようにマーブルチョコを手に取り、レジへ向かう。この退屈な日々に終わりは来るのだろうか。

俺は考える。この、暗いデスクの引き出しの中で。

いつか、封の切られる日を待ちながら。