かきかたの本

書き方の練習

物と生きる

来週の引越しに向けて、物の整理をしている。

今の家に移ってから、約15年。俺自身が、物を中々捨てられない性格ということもあり、膨大な数の物が部屋とクローゼットに溢れている。その一部だけを新居へ移すダンボールへ入れ、残りの大半は捨てることにした。

その多くは、俺にとって既に何の価値も持たない物である。ただ、同時にそれは、この15年間の俺の生きた証でもあったのだ。昔集めていたトレーディングカード、プラモデルの箱、2011年の4ヶ月だけ買っていた雑誌、英語で書かれた何かの説明書、バファローズの応援ユニフォーム、思いついた物語を乱雑に書き連ねたノート。その瞬間に、俺が生きていた証。その一つ一つをゴミ袋に入れながら、俺は思う。これまで俺の代わりに過去を背負い続けてきた彼らがこの世からいなくなると、俺の過去も同じように、無くなってしまうのではないかと。

俺は昔から、新しいことを始めることが苦手だった。というよりは、それまで続けていたことから離れることが苦手だった。引越しや卒業や、部活の引退や、異動や、見続けていた番組の最終回もそうだ。そんな風に、これまで当たり前にあった日常が、ある日を境に当たり前でなくなることが、どうしようもなく苦手だった。

周りの人たちは、仕方がないからと言って、当然のように新たな場所へ進んでいく。それが不思議で仕方がなかった。ただ、次のステージに進むだけの話ではあるが、しかし、俺にとっては、そんな単純なものではなかったのだ。子どものように泣きじゃくり、地面に転がり、全力で手足を振りながら駄々をこねたかったが、それでも、流れる時に取り残されるのが怖くて、結局は受け入れる道を選んできた。そんな時、心の拠り所にしていたのは、その過去の証として残っていた“物”たちであった。

人は、前へ進み続けるものである。人だけではない。この時の中に存在するものたちは、全てが例に漏れず、時の流れの中を常に移り変わり変化し続ける。そんな世界で生きる以上、どこかで見切りを付けて過去と決別をしなければ、背負った過去の重さで前に進めなくなってしまう。

俺は、物を捨てる。15年間という時と共に増えた、数え切れない物。これまで、俺の代わりに、クローゼットの奥でひっそりと俺の過去を背負い続けてくれた物たち。その一つ一つに、感謝と謝罪と決別を心の中で告げながら。

これまで彼らが背負い続けてくれたものは、本来、俺自身が背負うべきものなのだ。俺は彼らの意思を胸に抱き、新天地へと歩みを進める。これからの人生の中で、大切に抱いた過去の欠片が腕の中からこぼれ落ちてしまうことは、きっとある。しかし、それでいいのだ。

生きた証は俺自身の中にある。本当に大切なことは、心に刻まれている。それはたとえ俺が忘れてしまったとしても、俺という人間の生き方や存在の中にきっと在り続けるだろう。