かきかたの本

書き方の練習

髭が伸びる

ここ最近、髭の伸びる速度がどんどん早くなっている気がする。

昼休み、トイレの鏡で顔を見ると、朝剃ったはずの髭が、もう朝と同じほどの長さにまでなっていた。帰る頃には、朝の倍ほどの長さにまで成長している。剃ると倍の長さになる髭。映画“グレムリン”にも似た、なんとも恐ろしい話だ。

朝、剃る前は1mmだった髭が、夜には2mmになっている。たった1mmと思われるかもしれないが、1日で倍の長さに成長しているのだ。このペースで髭が伸び続けるとすれば、どうだろうか。1ヶ月後には俺の髭は536,870,912mmになっているという計算になる。キロメートルに直すと、536km。1ヶ月後、俺の髭は韓国に到達してしまうほどの長さになる。

まったく、困ったものだ。ただでさえ毎日髭を剃ることが面倒で仕方がないというのに。536kmの長さにまで成長してしまった髭を剃ることが、どれだけ大変だろうか。それほどの長さなら電動ヒゲソリは使えない。シェービングクリームだってとんでもない量が必要になるだろうし、それに、排水溝だって詰まってしまうじゃないか。勘弁してくれ。

いや、待てよ。そうか、何も、わざわざ無理をして剃る必要はないんだ。そもそも、536kmもあるものはもはや髭とは呼べないだろう。それは単なる迷惑な毛、だ。毛なら、切ってしまえばいい。根元から裁ちバサミでザックリと。そしたら全長が何kmあろうと関係ない。

そしたら、その切った髭でセーターを編もう

それに、暖かい布団と絨毯もだ

世界中の子どもたちが寒くならないように

それが俺の夢

今度は君の夢を聞かせてくれよ、な

ため息をつく

ため息をつくと、幸せが逃げる。

どこの誰が言い出したことなのかはわからないが、この話を聞いたことがある人は少なくないだろう。きっとどこかの誰かが、ため息をついた誰かを見て、そんなことを言ったのだろう。自分が言われると、次は誰かに言ってみたくなる。この言葉に、そんな不思議な魅力があるのは事実で、実際に俺も何度も口にしたことがある。そういった言葉は、この世界に幾つか存在し、彼らは生まれたその日からずっと、口から口へとふわふわと世界を飛び回る。生み出した当人は、自分が何気なく呟いた適当な言葉が、世界中の多くの人間が知っている言い伝えのようなものになるなんて、夢にも思わなかっただろう。

似たような話で、夜に口笛を吹くと蛇が出るというものがある。俺は子どもの頃に親に言われたこの言葉を信じ、蛇を呼び出すために夜に口笛を吹き続けた。おそらく、夜に口笛を吹くとうるさくて迷惑になるので、怖いものが出るという嘘で子どもに口笛を吹くことを止めさせる、そのためのものなのだろうが、いかんせん、あの頃の俺はアホだった。その結果、蛇こそ現れなかったが、口笛はそこそこ上手くなり、当然のごとく俺はアホのまま大人になった。

さて、ため息をつくと幸せが逃げるらしいが、逃げた幸せは、いったいどこに行くのだろうか。俺の頭はプラスチックで出来ており、その中身は空洞になっているので、俺が私生活の中でため息をつくことはまずない。故に、なかなか実証する機会がなかったのだが、ここ最近、引越し準備に追われ好きなことができておらず、少しだけ疲れていたのかもしれない。ふとした拍子に、そいつは俺の前に現れた。

漫画本とアルバムと写真を入れたダンボールの蓋をガムテープで閉じ、スペースの半分がダンボール箱で埋められた部屋を見る。まだ、やるべきことの半分も終わっていない。途方もない作業の多さに、俺は深くため息をついた。ポカリを飲もう。そう思い部屋の出口を見ると、そこにあいつは居た。何だお前は。俺が言うと、私はあなたの幸せ、と、あいつは応えた。

とりあえず俺は、キッチンへ向かい、冷蔵庫からポカリのボトルを取り、再び部屋へ向かう。あいつは、俺がさっき閉じたばかりのダンボール箱を開け、そこからアルバムを取り出し眺めていた。俺はあいつの手からアルバムを奪い、箱に詰め、再び封をする。お前が俺の幸せなら、俺はもう、幸せになれないってことなのか。新しいダンボールを組み立てながら、聞く。知らないわ、私はあなたの幸せだけれど、今はもうあなたから切り離されてしまったもの。そう言って、あいつは俺のポカリを一口飲んだ。

それから俺は、少しずつ、引越しの準備を進めていった。その間、あいつはずっと部屋の角のダンボールの上に座り、アルバムのページをペラペラとめくり、時折、ふふっと小さく笑ったりしていた。何度箱に戻しても、すぐに箱を開けて取り出すので、俺はもう、アルバムの箱詰めは後回しにし、他の物を優先的に片付けていった。そんなものを見て楽しいのか、と聞くと、楽しいわ、私はあなただものと応える。よくわからないが、どうやらあいつは俺らしい。部屋によくわからないものがいるにも関わらず、俺は不思議と気にならなかった。それどころか、あいつが部屋の片隅にいることで、どこか懐かしい安心感のようなものさえ感じた。

ようやく作業がひと段落ついた頃、窓から見える空は橙色に染まっていた。俺はあいつの隣に座り、ぬるくなったポカリを飲み干した。ため息をつくと幸せが逃げるらしいが、お前は逃げないのか?俺が聞くと、あいつは小さく頷き、アルバムを見たまま、逃げたくなんてないわ、と言った。でも、切り離されてしまったから、もう戻ることは出来ないの。そう言ってアルバムを閉じ、立ち上がる。途端に、俺の胸に寂しさが込み上げてくる。

だったら、だったらお前はどうなるんだ。

どうにもならないわ。ただ、世界を漂うだけの存在になるの。私はあなたの幸せであって、それ以外の何者でもないもの。

一度切り離されてしまった俺の幸せは、もう二度と戻ることは出来ない。俺はこれまで、何でもない幸せな日々が当たり前だと思っていた。目に見えないものだから。こんな風に、別れる日が来るなんて思ってもなかったから。

行かないでくれ。別に俺の中に戻らなくたっていい。ただ、そばにいて、思い出させてくれるだけでいい。

みっともないなと、自分でも思う。それでも俺はあいつにすがった。しかし、同時にわかってもいた。それがどうしようもないことであること。何もかもが遅すぎたのだ。あいつは情けなくすがりつく俺を優しく抱き寄せ、耳元で小さく呟いた。私は幸せだったわ、と。

それまで俺の中にあったあいつは、今は俺の目の前にいる。こんなにも近くにいるのに、どうしようもなく遠い。それは、過去や思い出や、そういった物とよく似ていた。

私の役目は終わったから、私がいると、あなたは新しい幸せを見つけることが出来ないの。

窓から差し込む橙色の光が、俺たちを照らす。ありがとう、と、俺が言うと、あいつは俺の背中を撫でながら、可笑しそうに笑う。私はあなたなのに、それはおかしいわ、と。

また、会えるだろうか。わかりきった問いを投げかける。あいつは小さく首を横に振り、最後に話が出来てよかった、と言った。

夕焼けの街を歩く。この街並みも、子どもの頃に比べると随分と変わった。遊び場にしていた雑木林と畑は、今や住宅地になり、砂利道は舗装された道路に、秘密基地を作ったスクラップ場は大型ゲームセンターになった。それでも、不思議と、空気と風は昔のままだ。

そうして、俺は考える。すれ違う人、それぞれに人生があり、彼らもどこかで古い幸せを切り離し、新しい幸せとともに歩いているのだと。切り離された幸せたちは、形を成すことも、集まることもせず、ただこの世界のどこかを漂っている。

夕焼けの街。畑の向こうに見える雑木林。砂利道を歩くあいつの横を、自転車に乗ったあの日の俺が通り抜けて行く。そんな光景が浮かび、俺は立ち止まる。夕陽が沈む。空は深青に変わりつつあった。

ため息をつくと幸せが逃げる。逃げた幸せは、もう二度と、戻ってはこない。しかし、消えてしまったわけではない。あの楽しかった日々の記憶を抱き続け、時折、ふふっと笑ったりしながら、一人、この世界のどこかを漂っている。

 

物と生きる

来週の引越しに向けて、物の整理をしている。

今の家に移ってから、約15年。俺自身が、物を中々捨てられない性格ということもあり、膨大な数の物が部屋とクローゼットに溢れている。その一部だけを新居へ移すダンボールへ入れ、残りの大半は捨てることにした。

その多くは、俺にとって既に何の価値も持たない物である。ただ、同時にそれは、この15年間の俺の生きた証でもあったのだ。昔集めていたトレーディングカード、プラモデルの箱、2011年の4ヶ月だけ買っていた雑誌、英語で書かれた何かの説明書、バファローズの応援ユニフォーム、思いついた物語を乱雑に書き連ねたノート。その瞬間に、俺が生きていた証。その一つ一つをゴミ袋に入れながら、俺は思う。これまで俺の代わりに過去を背負い続けてきた彼らがこの世からいなくなると、俺の過去も同じように、無くなってしまうのではないかと。

俺は昔から、新しいことを始めることが苦手だった。というよりは、それまで続けていたことから離れることが苦手だった。引越しや卒業や、部活の引退や、異動や、見続けていた番組の最終回もそうだ。そんな風に、これまで当たり前にあった日常が、ある日を境に当たり前でなくなることが、どうしようもなく苦手だった。

周りの人たちは、仕方がないからと言って、当然のように新たな場所へ進んでいく。それが不思議で仕方がなかった。ただ、次のステージに進むだけの話ではあるが、しかし、俺にとっては、そんな単純なものではなかったのだ。子どものように泣きじゃくり、地面に転がり、全力で手足を振りながら駄々をこねたかったが、それでも、流れる時に取り残されるのが怖くて、結局は受け入れる道を選んできた。そんな時、心の拠り所にしていたのは、その過去の証として残っていた“物”たちであった。

人は、前へ進み続けるものである。人だけではない。この時の中に存在するものたちは、全てが例に漏れず、時の流れの中を常に移り変わり変化し続ける。そんな世界で生きる以上、どこかで見切りを付けて過去と決別をしなければ、背負った過去の重さで前に進めなくなってしまう。

俺は、物を捨てる。15年間という時と共に増えた、数え切れない物。これまで、俺の代わりに、クローゼットの奥でひっそりと俺の過去を背負い続けてくれた物たち。その一つ一つに、感謝と謝罪と決別を心の中で告げながら。

これまで彼らが背負い続けてくれたものは、本来、俺自身が背負うべきものなのだ。俺は彼らの意思を胸に抱き、新天地へと歩みを進める。これからの人生の中で、大切に抱いた過去の欠片が腕の中からこぼれ落ちてしまうことは、きっとある。しかし、それでいいのだ。

生きた証は俺自身の中にある。本当に大切なことは、心に刻まれている。それはたとえ俺が忘れてしまったとしても、俺という人間の生き方や存在の中にきっと在り続けるだろう。

マーブルチョコを買う

ここ最近、毎日マーブルチョコを買っている。会社の食堂で昼食を食べ終え、事務所へ帰る前にコンビニでマーブルチョコを買う。それが俺の最近の日課のようになっていた。

規則的な生活というのが嫌いなので、日課、なんて気色の悪いものは極力避けたいのだが、しかし、それでもマーブルチョコは毎日買わなければならないのだ。買わなければならない理由はない。それに、俺はそこまでのマーブルジャンキーではない。しかし、マーブルチョコを買わなければならない。始まりは、どこかにあったのだと思うけれど、今となっては思い出せず、ただ、マーブルチョコを買わなければならないという使命感だけが、空き缶のように、あるいはプルタブのように、俺の中に残っていた。俺は意味もわからず、ただ真面目に、その使命を全うしていた。

 会社のデスク、カバン、そして手元。三ヶ所に、いつも食べかけのマーブルチョコがあることに、ふと気がつく。どこかの一ヶ所のマーブルチョコが無くなると、新しいマーブルチョコが補充され、そしてまた別のマーブルチョコが無くなり、補充される。いつの間にかそこに、マーブルチョコの循環が生まれていた。ただ、マーブルチョコを買う。そして、食べる。買う、食べる、買う、食べる……。俺はマーブルチョコという名の世界を回す。そこには7色の生命が生まれ、崩壊し、また新たな生命が生まれる。地球ももしかしたら、そんなものなのかもしれないな。そう思いながら、口の中に入った水色のマーブルを噛む。一つの世界が終わり、優しい甘さが口に広がる。

そんな風に、この数ヶ月繰り返されてきた循環に、異変が起こりつつあった。それに気づいたのが、数日前のことだ。

16時。データ入力を終え、一息ついてデスクの引き出しの中のマーブルチョコに手を伸ばす。その時、引き出しの中にマーブルチョコが二本あることに気がついた。しかし、交代時期がずれる事はよくあることだ。特に気にせず、マーブルチョコを3粒ほど食べ仕事に戻る。翌日、いつものようにマーブルチョコを買い、そしてデスクの引き出しに入れる。違和感。見ると、マーブルチョコが三本並んでいる。おかしい。カバンを開くと、中には二本のマーブルチョコ。何かがおかしい、どうなっているんだ。

手元にあるマーブルチョコを全て並べると、合計で6本あった。それは、マーブルチョコの生まれる速度が崩壊に追いついたことを意味していた。要するに、俺の食べる速度が遅くなったことにより、供給が需要を上回り、マーブルチョコの飽和状態が生まれていたのだ。

そうして、マーブルチョコは数を増やし続けた。俺は、飽きていたのだ。マーブルチョコを食べることに。その甘ったるさに。しかし、その遅くなった消費速度とは裏腹に、マーブルチョコは増え続ける。いつしか、マーブルチョコを食べることではなく、買うことが目的となっていた。食べたいから買うのではなく、他にすることがないのでとりあえずマーブルチョコを買う。マーブルチョコを買うという行為を止めた後に生まれる空白を埋める術を知らないのだ。そうして、その繰り返しの中で、マーブルチョコを買わなければならない状況が作り出されていた。

人生も、同じだ。退屈な毎日、ゴールも目的も無く、ただ時間だけを消費していく日々。なぜ生きるのか。その問いに自信を持って答えられる人間は、きっと多くはいないだろう。意味はないが、ただ、他にすることもないので、とりあえず生きる。空白の時間を何かで埋めながら、消費していく。それだけだ。

俺は今日も、マーブルチョコを買う。デスクの引き出しの中には、数えられないほどの封の切られていないマーブルチョコが転がっている。その中に、新たなマーブルチョコを入れ、俺は引き出しを閉じた。

もう長いこと、マーブルチョコは食べていない。あのマーブルチョコの封が切られる日は来ないだろう。しかし、きっと俺は明日も、マーブルチョコを買う。明後日も、明々後日も、その先もずっと。そうして、循環の止まった世界の中で、ただ7色の生命だけがひたすらに生み出され続ける。彼らは本来の存在の意味を忘れ、ただ、他にすることもないので、仕方なく生きるだろう。

何も考えず、陳列棚に並んだ他のお菓子には目もくれず、いつものようにマーブルチョコを手に取り、レジへ向かう。この退屈な日々に終わりは来るのだろうか。

俺は考える。この、暗いデスクの引き出しの中で。

いつか、封の切られる日を待ちながら。

 

バス停の光と陰

その時、俺は確かに、陰の中に立っていた。

その日は珍しく通勤バスが遅れており、俺は駅のロータリーでバスを待つ列に並んでいた。7月の最初の月曜日。梅雨の中休みの快晴が、押し付けがましく俺たちに夏を知らせる。月曜日ということもあり、バスを待つ人々は皆、死者の列のように一様に、虚ろな顔で下を向いていた。朝の日差しというものは、人を憂鬱な気分にさせる。ただでさえ陰鬱とした気分が、より重くなる。

ため息を一つ、空を見上げる。雲一つない快晴。このままバスが来なければいいのに。そんなことを考えてみるが、しかし、バスが来なければ結局、俺は歩いて会社へ向かうだろう。たとえバスが来なくとも、天変地異が起ころうとも、世界が滅びようとも、行くべき会社が無くなろうとも、 俺はきっと会社へ向かうだろう。それしか生きる方法を知らないのだ。そこしか向かう場所が、ないのだ。

彼らも同じだろうか、前後に並ぶ人々を見たとき、ふと、あることに気づいた。全員が、太陽の光を避けるために陰の部分に並んでいるのだ。当然と言えば当然のことかもしれない。この暑い中、わざわざ炎天下の日差しの下に立つ意味はないだろう。しかし、俺はその光景に恐怖を覚えた。その光景が当たり前であることに、恐怖を覚えたのだ。虚ろな表情で、陰に列を成す生きる屍たち。いや、彼らは生きてすらいないのかもしれない。ただ日々を繰り返すだけの存在と成り果てている彼らにとって、生命の象徴である太陽の光は、身体を焦がす天敵なのだ。

遅れてきたバスがようやく到着した。屍たちはゆっくりと、順番にバスに乗り込んでいく。バスの扉は巨大な焼却炉の入口になっており、屍たちは虚ろな表情のまま炎の中へと落ちて行く。声も上げず、抵抗もせずに。俺は一歩も動くことが出来ず、その光景をただ見つめていた。死者の列を全て飲み込み、バスは俺を置いて走り出す。その先に何があるのか、俺は知っている。

遠くに、チャイムの音が聞こえた。この駅からは、かつて俺が日々を過ごしていた母校が見える。呆然と立ち尽くす俺の前を、制服を着た学生たちが話しながら歩いて行く。光の中を歩く彼らは、かつての俺たちの姿だった。学校という狭い世界の中での、退屈でくだらない日々。しかしそこでの生活は、生命の輝きに満ち溢れていた。ああ、もう一度、あの日に……。

ふらふらと、俺は陰の外へ、光の中へ歩みを進める。途端、全身を猛烈な痛みが襲った。手を見ると、太陽の光を受けた部分が煙を上げて焼け爛れて行く様子が見えた。いつの間にか俺自身も、先ほどの死者の列の住人と同じ、生きる屍となっていたのだ。俺は恐怖に怯え、叫び声を上げながら駆け出した。太陽の光は俺の全身を容赦なく焼き尽くし、焦げた手足は乾いた虫の死骸のようにバリバリと音を立てながら崩れ落ちる。両足が千切れ、地面に転がった俺の前を、学生たちが楽しげに会話をしながら歩いて行く。頭だけになった俺は、懐かしい母校を見つめ、黒い涙を流しながら、ゆっくりと太陽に焼かれて朽ちて行った。

 

気づくと、俺はバスの前から二番目の窓側、いつもの席に座っていた。エアコンの効きすぎた車内、隣には小太りの中年が座り、ハンカチで汗を拭いている。ああ、いつもと同じ光景だ。少し安心し、同時に酷く憂鬱な気持ちになる。このバスは会社へ向かう。俺はバスを降りるといつもと同じようにロッカーへ向かい、制服に着替え、そしてデスクに座り仕事を始めるだろう。変わらない日々、変わらない人生。それを変えたいと思いながらも、俺は、彼らと同じように、バスに乗る。やはり、それしか生きる方法を知らないのだ。

どれだけ戻りたいと願っても、過去に戻ることは出来ない。それはわかっているが、しかしそれでも、人は過去を思い、懐古と後悔に黒い涙を流すだろう。思えば、過去というものは、太陽の光に似ている。その輝きが大きければ大きいほど、今を生きる屍たちの心を焦がすのだ。そうして心を焼かれた人々は、屍となり、それでも生き続ける。決して辿り着くことの出来ない、過去の輝きへ向かって、陰の道を歩き続ける。

バスが会社に到着し、屍たちは再び列を成し、バスを降りていく。その最後尾に並び、俺もバスを降りた。ただ日々を生きるだけの存在であることに疑問を抱きながら、それでも俺は陰の道を進むことを受け入れた。それしか生きる方法を知らないのだから。

 

スカートの中の秘境

秘境

それは人里離れた山の奥深くの神秘的な湖であったり、砂漠の果てにある古の街の跡であったり、はたまた深海の底に眠る都市であったり。そこにはありのままの地球の姿を映した絶景と、太古の人類が残した秘宝があると言われていたりいなかったり。誰しもが一度は夢見、人生のうちにその場所を訪れたいと思うのではないだろうか。

はてさて、そんな風に世の人々を魅了してやまない秘境ではあるが、実は案外、我々のすぐ近くにも存在したりする。勘の良い方は表題を見て既にお気づきかもしれないが、そう、スカートの中である。ここで頭に“?”が浮かぶ人もいるかと思うが、考えてみてほしい。あなたはスカートの中にどんな世界が広がっているか、知っていますか?

スカートというのは、そう、一般的に女性が履いている下半身を覆う布製のあれである。女学生の制服として採用されているあれである。そしてその中には、秘境が広がっているに違いない。多くの人があの布製のヒラヒラの中に思いを馳せ、しかし辿り着いた人間は多くはない。そこを秘境と呼ぶには十分だろう。

現実を言うならば、あのヒラヒラの下には当然の如く、下半身と下着が隠されているだろう。それはそれで、非常に魅力的なものではあるが、しかし、本当にそうなのだろうか。あの魅惑のヒラヒラに覆われた瞬間、その空間は未知となる。その瞬間まで下半身と下着であったそれは、誰も到達したことのない新大陸となり、そしてその先に広がる深い森には神秘的な鍾乳洞があり、更にその奥深くには伝説の秘宝があるに違いない。そのことは、外から見ている我々はおろか、スカートを履いている本人でさえ意識していないだろう。まさか、自分の下半身が未知の秘境となっているなんて。

中でも、様々な悩みを抱え、めくるめく青春の時間を生きている女学生のスカートの中には、きっと宇宙が広がっているだろう。 勉強、部活、恋、友情、夢、将来。無数の星々はスカートという紺色の宇宙空間の中で、瞬き、消えては生まれ、形を変えて輝き続ける。その中で、唯一変わらず輝き続ける一際大きな星。あれは彼女自身の心を表しているのだろうか。

風が強くなってきた、今夜はここにテントを張って休むことにしよう。俺は森の中の少し開けた場所に荷物を降ろし、テントを組み、火を起こす。夜空には無数の星々が瞬き、消えては生まれを繰り返している。その星々の輝きを見て、ようやくここまで辿りついたのだと実感が湧いてきた。

俺たちが日々を生きているこの世界は、一人の女学生のスカートの中なのかもしれない。それは絶対にありえないと、確証を持って否定出来る人間は何処にもいないだろう。俺は、そう信じている。いや、そうだといいなと願っている。そんな世界なら、この退屈な日々がどれだけ素敵なものとなるだろうか。

空気に特有の湿気が含まれてきた。この調子なら、明日には目的地に辿り着けるだろう。そうして、この秘境での長い旅路は、ようやく終わる。ずっと思いを馳せていた場所に辿り着いたその時、俺は何を思うのだろうか。

さて、こんな風に思いを馳せるのも、今夜が最後となるだろう。

明日は早い、今夜はもう眠ることにしよう。 

暇潰しの土曜日

土曜日の過ごし方を忘れてしまった。

ここ数ヶ月、仕事や仕事以外の会社の用事や仕事以外の会社の用事以外の用事が忙しく、土曜日も大体は一日中何かをしていたからだ。普段なら、一週間が七日であるのに対し休日が二日しかないのはバランス的にあまりに頭が悪いと主張している俺ではあるが、しかし俺にしては珍しく公私ともに充実した日々を過ごしていたので週の休みが一日でも全く問題はなかった。ちなみに日曜日はあまり記憶がないのでたぶん、眠っていたのだろう。

そんな忙しい日々も、先週土曜の出張を境に終わりを告げ、俺には当然の権利のように週休二日の恩恵が舞い降りる。久しぶりに顔を合わせた全く新品の土曜日は、たった数ヶ月振りの再会ではあるが、それ故に彼女はどこか緊張しているようにも見えた。

さあ、何をしようか?ベッドの上に互いに向かい合って座り、俺と土曜日は考える。仕事をしている間は忙しなく動いているので考える暇は無いが、一日というのは案外長いものである。朝の9時に起床して、夜の24時に眠るとすれば、15時間もの間が自由時間となる。何も考えていなかった俺は、突然目の前に現れた15時間という時間を見て途方に暮れる。と同時に、何かしなければと考える。せっかくの休日なのに、何もせずに時間を過ごすなんて勿体ない。何か有意義な暇潰しをしなければ、と。

顔を洗って歯を磨き、髭を剃り、チョコレートを食べ軽く水を飲み服を着替える。そして、テーブルの上に置きっぱなしにしていた車のキーに手を伸ばした所で、ふと考える。本当に暇を潰す必要があるのか、と。

顔を上げると、どこか寂しげな顔で俺を見ている土曜日と目があった。俺は我に返り、車のキーをテーブルに置き、そしてソファに座る。時刻は10時。いつもなら、明るすぎる無機質な蛍光灯の下で、パジャマのような制服に身を包み、書類を整理しながら電話対応をしている時間だ。風の音と鳥の声、遠くを走る車の音、それから、どこかの親子の話し声。7月に入ると同時に、律儀にも太陽は夏の日差しを俺たちに注ぐ。俺の知らなかった空白の時間が、そこにはあった。

気づくと、土曜日は俺の隣に寄り添うように座っていた。それは、俺たちがこれまでに潰してきた、そして俺がつい今の瞬間まで何とかして潰さなければと思っていた“暇”の姿だった。俺がそのことに気づくと、彼女は優しく微笑み、そして、貴方は少し働きすぎよ、と言った。

暇、とはなんだろうか。多くの人間はその空白の時間を無駄な時間と考え、なんとか理由をつけて別の行動で埋めようとする。それが俗に言う“暇潰し”である。しかし、忙しければ忙しいで彼らは口を揃えてこう言うのだ。時間が足りない、と。そうして世の中の暇という名の空白の時間たちは、人々に求められながらも忌み嫌われる、矛盾した存在となっていく。

だったら、俺は何をすればいい?子どものような俺の問いかけに対し、彼女は再び優しい笑みを浮かべ、何もしなくていいの、と言った。その言葉は、俺がずっと求めていた救いのような気がする。忙しい日々、充実の裏で失われていった大切な何か。それを取り戻すために俺は“何かをしなければ”と、そう思っていたが、そのこと自体が間違いだったのだ。何もしなくていい。その答えを、彼女は教えてくれた。

そうして、俺は飽きるまで空を見たり、部屋の小物を整理したり、太陽の光と扇風機の風を浴びながらうたた寝をしたり、明るいうちから風呂に入ったりと、本当にゆっくりと、暇を味わうように時間を過ごした。それはまるで、時間という水が溢れるほどに張られた湯船の中にどっぷりと浸かるような、そんな贅沢な時間だった。

長かった15時間が終わる。蒸し暑い一日だったが、夜になると風が少し出てきたので心地が良い。俺の心の中は、忙しさの中で得られる充足感とは別の、この夏の夜風のような穏やかな気持ちで満たされていた。

たまにはこんな風に時間を過ごすのも悪くないでしょう?夜風に長い髪をなびかせ、月を見上げたまま彼女が言う。また、会えるかな?俺が聞くと、彼女は振り返り、そしてまた優しく微笑んだ。もちろん、貴方が望むならいつだって。

ふと、小学生の頃にあった夏休みの宿題を思い出した。空白の予定表が配られ、毎日あったことを書き込んでいくというあれだ。予定が何も無く、埋められない日があるとそこだけ空白になってしまう。それが嫌で、子どもながらに必死に何かをして空白を埋めようとしていた記憶がある。あの頃から、俺は空白を埋めることに躍起になって、大切なことを忘れてしまっていた。

人々は、幸福や充実感を求めて日々を忙しく過ごしていく。しかし、本当に大切なものは案外、皆が必死に埋めようとしている空白の時間の中にこそあるのかもしれない。 明日は日曜日、予定は何も無い。それは、俺に大切なことを思い出させてくれた彼女からの粋な贈り物のように思えた。

さあ、何をしようか。